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「欧州でも勝てる日本人指導者に」
宮沢悠生通訳の信頼構築術・後編。
posted2020/05/28 11:40
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph by
Yuki Miyazawa
プロのサッカー指導者を目指す。そんな夢を抱き、海外へ飛び出してくる若者は多い。具体的な方法はないかもしれない。でも、どんなことがあってもなんとかなるさと無限大の可能性を信じて最初の一歩を踏み出す。勇み足と言われることもあるだろう。とはいえ、最初はそのくらいの思い切りが必要なこともある。
「僕も最初は漠然としていました。勝つためにどういう指導が必要なのか、海外に行けばそのあたりを学べるんじゃないかと思って、勢いで来た感じでした。最初の頃に出会った日本人の方に『そんな浅い考えなら帰った方がいいんじゃない?』と厳しく言われたことを覚えています(笑)。でも、勢いのある若い子、大学卒業したての子とかと会ったら、可愛いというか、『それが大事なんだよ』とも思います」
そう優しく語るのは、宮沢悠生。ケルンで大迫勇也と長澤和輝、そしてザルツブルクで南野拓実、奥川雅也の通訳を務め、現在はレッドブル・ザルツブルクU-15チームでコーチを務めている。
2年前からU-15チームのコーチに。
2008年、サッカー指導者を目指してドイツのケルンへ渡った。2年半後には名門ケルン体育大学に入学し、そこに籍を置きながら元ケルン育成部長のクラウス・バブストが代表を務める、ケルン・フースバルシューレで指導者として様々なカテゴリーで奮闘した。
「サッカー指導がメインでしたが、お金が必要なので朝はバイトして、ドイツ語コースに通いながら勉強するというサイクルでした」と振り返る宮沢は、その後いろいろな人の縁と支えを受け、現在に至っている。通訳としてのあり方を模索し、選手へのリスペクトを忘れず、選手のために、チームのために全力で取り組んでいた。
そんな姿を関係者もしっかりとみていたのだろう。「指導者としてやっていきたい」という思いを伝え続けていた宮沢は、ケルンでこそ指導現場に立つことはできなかったが、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス取得のサポートはしてもらえた。
ザルツブルクでも最初は人員に空きがなくチャンスに恵まれなかったが、2年前にU-15のコーチのポストに就いた。プロクラブの育成で掴んだチャンス。いま指導者であることの喜びを噛みしめている。