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松井秀喜と番記者の友情のBBQ。
メジャー1年目、大爆発の前触れ。
posted2020/05/19 11:30
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
Kyodo News
深緑が映えるこの時期になると、思い起こすの記憶のひとつに“オハイオ州シンシナティでのバーベ―キュー”がある。
今から17年前となる2003年6月2日の昼下がり。正確に記せば、シンシナティのダウンタウンとオハイオ川を挟んで隣接するケンタッキー州デブーパークという小さな街にある公園での出来事だ。
集まったのは日本人ばかりで30~40人。その主役を務めていたのは当時、ニューヨーク・ヤンキースの1年生プレーヤーだった松井秀喜さんだ。
日本からやって来た本塁打王『GODZILLA(ゴジラ)』として、3年総額2100万ドル(現在のレートで約22億5000万円)で米国きっての伝統球団に迎え入れられた彼は「5番打者」として大きく期待をされていた。
トロントで行われた開幕戦での初打席、初安打、初打点や本拠地ヤンキースタジアムでの満塁弾デビューなどスタートは華々しかったが、前日のタイガース戦までに残した成績は56試合で236打数60安打、33打点、打率.254。本塁打はわずかに3本。ずるずると成績を下げていた。
「ゴロキング」という不名誉な称号。
当時はムービングボール全盛の時代。手元で逃げたり、沈んだりする外角のツーシームに苦しみ「今までに見たことのない球」と、彼は語り、二ゴロ、一ゴロを繰り返した。
『GODZIILA』のニックネームには程遠い打撃内容に、5月になるとニューヨークのビート・ライターからは『ゴロキング』というありがたくない名を頂戴したのだが、報じたのは『ニューヨーク・ポスト紙』や『デイリー・ニューズ紙』などのタブロイド紙でなく、米国屈指のクオリティー・ペーパーと称される『ニューヨーク・タイムズ紙』だった。
記事を執筆したタイラー・ケプナー記者にその意図を聞くと「GROUND BALL OUT(内野ゴロ)が思った以上に多いからね」と、シンプルな答えが返って来た。
どんなときにも『不動心』を保ち、喜怒哀楽を表に出さない松井秀喜でありながら、この頃の彼はモヤモヤ感たっぷりだった。その彼を「気分転換でもしようぜ!」の思いで番記者が誘い出したのが、このバーベキューだった。