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DeNA「あきらめない野球」の原点。
多村仁志の7点差逆転サヨナラ弾。 

text by

石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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photograph byKyodo News

posted2020/05/10 11:40

DeNA「あきらめない野球」の原点。多村仁志の7点差逆転サヨナラ弾。<Number Web> photograph by Kyodo News

2013年5月10日、多村(左から3人目)が逆転サヨナラ3ランを放った。

7連打で、あっという間に1点差。

 スコアは10対5。まだまだ巨人の背中は遠かったが、多村のホームランが呼び水となり打線は活気づいた。

 つづくナイジャー・モーガンが来日1号となるソロホームランを放てば、走者一、二塁の場面でトニ・ブランコの打球がショート・坂本勇人を強襲して追加点、そして中村紀洋のレフトオーバーのツーベースで2得点を挙げる。DeNAは何と7連打で、あっという間に10対9にまで迫った。

 大いに盛り上がるハマスタ、ベンチには生還した選手を笑顔で迎える多村の姿があった。

2006年オフ、ソフトバンクへ移籍。

 多村は1994年のドラフト会議で地元の横浜高校から4位でベイスターズに入団。素質は認められていたが、全力プレーにこだわるあまり怪我などに苦しみ、20代半ばまではコンスタントに試合に出場することができなかった。艱難辛苦の末、10年目の2004年に初めて規定打席に達すると、球団としては日本人として史上初となる3割、40本塁打、100打点を達成し、ついにチームの顔となった。

 この年の日米野球でNPB選抜に選ばれると、ホームラン競争でメジャー屈指の強打者であるマニー・ラミレスに勝利したり、また2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは日本代表として全試合に出場し、チームの打点王、本塁打王となって優勝に貢献するなど、とにかくスケールの大きさを感じさせる選手だった。

 しかし2006年のオフ、突如ソフトバンクへの移籍が発表される。ファンにとっては青天の霹靂だった。惜しまれながらベイスターズを後にした多村は、新天地においても主力として活躍し、ソフトバンクのリーグ優勝と日本一に貢献し、本人にとってキャリアハイとなる時間を過ごしている。

【次ページ】 「いつかベイスターズに戻って」

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多村仁志
中畑清

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