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ワールドラグビー次期会長は誰に?
大国に挑む45歳、ピチョットの野望。
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNaoki Morita/AFLO SPORT
posted2020/04/16 11:30
2018年、W杯日本大会開幕を控えたイベントに出席するピチョット氏。今年5月のワールドラグビー会長選挙に立候補した。
ビッグエイトに挑んだピチョット。
その構図はある意味、とてもわかりやすい。
かたや、イングランドとフランスという、世界ラグビーをリードしてきたヨーロッパのビッグユニオンと呼ばれる大国同士。水と油と言われてきた両大国が組んだジャイアントペアだ。
そもそもWR(2014年11月に『インターナショナルラグビーボード(国際ラグビー評議会)』=IRBから改称)は、第1回ワールドカップが開催される1987年までは、「ビッグエイト」と呼ばれる8カ国(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア)だけが正メンバーだったという、とても閉鎖的な組織だった。
ピチョットの母国アルゼンチンは、今でこそ世界屈指の強豪国として知られるが、もともとは非・伝統国としてビッグエイトから軽んじられ、虐げられてきた存在だった。それをピチョット自身が選手として、リーダーとして、分厚い壁に挑み続け、初めて今の地位を得た。
不公平な過密日程に異を唱える。
アルゼンチンは、ワールドカップ本大会での勝利数は1995年大会までわずか「1」。あえていえば日本と同格だった。ピチョットが25歳で正スクラムハーフの座に就いた1999年大会で、アルゼンチンは初めて8強入り。
だが、続く2003年のオーストラリア大会では極端なまでに伝統国が優遇される不公平な日程を強いられ8強入りを逃した。アルゼンチンはわずか17日間に4試合を詰め込まれ、その最終戦は中3日で臨むアイルランド戦。相手は中6日でまだ3戦目と休養十分。その悪条件下、アルゼンチンは15-16の1点差で敗れた。そして主将のピチョットは「敗者は語らず」という美徳に背を向け、大会運営に対し、敢然と異を唱えた。
「この日程は受け入れられない。IRBはもっとフェアに日程を組むべきだ」