ツバメの観察日記BACK NUMBER
あの3年間のヤクルトは楽しかった。
関根潤三が池山、一茂に教えたこと。
posted2020/04/09 21:15
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
関根潤三さんにインタビューをしたのは2015(平成27)年12月のことだった。
パソコンのハードディスクに保存してある取材音源にアクセスすると、生前の関根さんの優しい肉声が流れてくる。
テレビでおなじみの好々爺然とした穏やかな言葉が耳に心地いい。パソコンのスピーカーからは、かつてともにヤクルトのユニフォームを着ていた池山隆寛について語る関根さんの声が流れている。
「池山はね、本当に神経が細かい。神経が細かいから必死に頑張る。あの頃はまだ経験がない若手だったから一生懸命に練習する。本当に素直ないいヤツでしたよ」
売り出し中だった頃の池山は「ブンブン丸」と呼ばれ、豪快なスイングから繰り出される大ホームランが魅力だった反面、三振もまた多かった。
「だって、三振するんだからしょうがないじゃん」
その点を問うと、関根さんは何事もなかったかのように飄々と続ける。
「三振が多かった? だって、三振するんだからしょうがないじゃん。そんなの怒ったってしょうがないもんね。野球には三振もあればエラーもあるんだから。
もちろん僕だって、“どうすっかな?”というのは考えたよ。だけど、練習したからといってすぐにうまくなるもんじゃないでしょ? だから、一緒に頑張っただけ。監督と選手じゃねぇんだよ、一緒に野球をやっていたんだよ」
関根さんがヤクルトの監督を務めていたのは、時代が昭和から平成に変わる1987(昭和62)年から、'89(平成元)年のことだった。
当時、低迷期にあったヤクルトはこの3年間で4位、5位、4位とAクラスには届かなかった。神宮球場も、現在のような満員状態からはほど遠く、空席ばかりが目立っていた。
それでも、不思議と楽しかった。