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14歳シャラポワが語った「目標」と
4歳からつけ続けたペンダント秘話。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2020/03/02 19:00
2002年、その美貌と才能でIMGが総力で売り込む金の卵だったシャラポワが、ジャパン・オープン・ジュニアに出場した際のNumberインタビューにて。
いつも同じ十字架のペンダント。
シャラポワの活躍を何度も目にするうち、いつも必ずつけている十字架のペンダントが気になり始めた。オンコートのファッションでもいつもファンを楽しませてくれたが、どんなウェアに身を包んでもペンダントだけはいつも同じだったからだ。
直接、聞いてみたことがある。
東レPPOで初めて優勝した2005年。当時の会場は東京体育館だったのだが、練習コートから引き上げるところだったか、会場でのサイン会のあとだったか、詳しい状況は忘れたが、「ひとつ聞いてもいいですか」と声を掛けると、「オーケー」と足を止めてくれた。
「そのペンダントは何か特別なものですか?」
今となれば、よくも図々しくあのマリア様を呼び止め、そんな質問をしたものだ。
ウィンブルドンに次ぐ2つ目のグランドスラム・タイトルはまだ手にしていなかったとはいえ、この年も全豪、ウィンブルドン、全米でベスト4に進出。世界ランクはトップ4をキープしていた。なんといっても、すでにスポンサーとの契約料は女子テニストップの推定15億円に達していたスーパーヒロインだった。
しかし、その頃はまだ通路で声を掛けられるくらいの垣根だったようにも思う。
「子供の頃、両親から……」
日本は幸運の場所だと言い、東京はショッピングも食事も楽しいと言っていたから、機嫌も良かったのかもしれない。188cmの長身を少し屈めるようにしてこちらの目線に近づけてくれ、ペンダントについてはこう話した。
「子供の頃、両親にプレゼントしてもらったものなの。それからずっとつけているから、もう体の一部みたいな感じよね」
過去の写真などを見てみると、本当にまだ10歳に満たない頃のマリアの首にも同じペンダントがぶら下がっていた。「子供の頃」が正確には4歳だったということは、あとになって知った。