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14歳シャラポワが語った「目標」と
4歳からつけ続けたペンダント秘話。

posted2020/03/02 19:00

 
14歳シャラポワが語った「目標」と4歳からつけ続けたペンダント秘話。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

2002年、その美貌と才能でIMGが総力で売り込む金の卵だったシャラポワが、ジャパン・オープン・ジュニアに出場した際のNumberインタビューにて。

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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Hiromasa Mano

 そのプレースタイル、そのキャリアに比して、あまりに静かな去り方だった。

「私は、テニスとサヨナラします」

 引退を表明したSNSのメッセージをそんな言葉で締めくくり、マリア・シャラポワは別れを告げた。名声に彩られ、挫折にくすんだ、激動のテニスキャリアに。

 もう勝てないことを悟ったのだろうか。今季はブリスベンと全豪オープンの2大会に出ていずれも1回戦敗退。グランドスラムでの1回戦敗退は昨年のウィンブルドンから3大会連続となり、ランキングは373位まで急落した。

 全豪での敗退のあと「これから先のスケジュールは白紙」と語ってから約5週間。これ以上、今の自分の姿をさらすことを拒むように、「今季限り」や「ウィンブルドンを最後に」といった予告もなく、お別れのセレモニーの舞台も求めない、最後のプライドを秘めた唐突な「サヨナラ」だった……。

15歳になる数日前に答えたこと。

 初めて<リアル>シャラポワに会ったのは2002年、15歳の誕生日まであと数日という4月のある日だった。

 当時すでにその美貌と才能でIMGが総力で売り込む金の卵だったシャラポワが、名古屋で開催されたジャパン・オープン・ジュニアに出場するというので『Number』から取材の機会をもらった。

 ルックス以外で強烈に印象的だったのは、のちに彼女の代名詞にもなる「うなり声」と、パワーとガッツに満ちたプレースタイル、そして強気な目で語った言葉だ。「目標にする選手は誰ですか」というありふれた質問に、14歳のテニス少女はこう答えた。

「いません。私は、私が目指す私になりたいから」

 その大会では、決勝で台湾のシェイ・スーウェイ――こちらものちにダブルスで世界1位になる選手だが――に敗れて準優勝に終わったものの、すぐ翌週に群馬で1万ドルのITFプロサーキットに出場し、そこでプロ初優勝を果たした。

 そして翌2003年の東京、ジャパンオープンでWTAツアー初タイトルを獲得。あのウィンブルドン優勝をはさんで、翌年連覇を達成し、さらに格の高い東レパンパシフィック・オープンでも2度優勝した。

【次ページ】 いつも同じ十字架のペンダント。

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マリア・シャラポワ

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