松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
北京パラを目指す高田千明が妊娠……。
当時の心境と状況を松岡修造が訊く。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/03/03 07:00
何度も訪れる高田千明のピンチに思わず松岡修造も絶句! それを乗り越えて、彼女はいかに大成したのか?
「両親には猛反対をされて……」
高田「キャハハ。でもお互いに子どもは好きなので、できたものはしょうがないねって。なんとかして、産んだ後にもう一度陸上を続けられるようにしたいと思いました」
松岡「でも、大森さんという支柱が抜けて、別の意味で千明さんのプランも崩れ、道が閉ざされてしまった感じです。違う道へ進もうとは考えなかったんですか」
高田「それはないです。その頃はもう、パラリンピックに出るために練習をしていたので。
ただ、両親には猛反対をされて、向こうのご両親にも『そんな中途半端な状態で親になるのはいかがなものか』と。どちらの母親も子どもの世話がちゃんとできるのかをすごく心配してました。うちの主人も生まれつき耳が不自由で、それを向こうの母親がそれこそ口の形から声の出し方からすべてを教えて、それで主人は今、普通に話をすることができるんですね。
もし耳も不自由で、目も不自由な子が生まれて、あなたはちゃんと育てることができるのって。『目が見えないのにどうやって口の形を教えるの』。そこまで言われました」
松岡「そう聞くと、諭樹くんが健康に生まれて本当に良かったですね」
高田「私も主人も、障がいがあることをまったくマイナスに捉えないように育ててもらったので、たとえ子どもが障がいを持って生まれてきても、なんとかなるでしょって思ってました」
「産んでから1カ月で私、練習を再開したんです」
松岡「でも、わずか1年前にパラリンピックを知って、そこまで思い入れが強くなるものですか。それくらいパラリンピックは千明さんにとっても周りの人にとっても欠かせない目標になっていたということですね」
高田「仕事に行って、帰ってきて、また練習に行って、血反吐を吐いてやっている。そんな姿を両親は見ていたので、娘の本気を応援してくれたんだと思います。なのに、妊娠したから辞めますと。そりゃ『ハアッ』ってなりますよね」
松岡「その事件を大森さんはどう捉えてました」
大森「僕がどうこう言える立場じゃないので。それこそもう、見ているしかない。完全に部外者ですから、状況を見守ってました」
高田「でも、産んでから1カ月で私、練習を再開したんですよ。出産後1カ月検診を受けて、『大丈夫』と言われたので、その次の日から。体型はガンダムみたいになってましたけど」
松岡「ガンダム? アニメの? どういうことですか」