松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
北京パラを目指す高田千明が妊娠……。
当時の心境と状況を松岡修造が訊く。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/03/03 07:00
何度も訪れる高田千明のピンチに思わず松岡修造も絶句! それを乗り越えて、彼女はいかに大成したのか?
「続けてくれるかどうかの見極めを」
松岡「だったら言ってあげて下さいよ。すごいぞって」
大森「いやあ、そこは待ってましたね」
松岡「千明さんはどう思います。もしそこで『すごいぞ、千明。女の子で全力疾走ができるのは初めてだ。君は世界に行ける』。そう言われていたとしたら」
高田「それはすごく嬉しかったと思いますよ。でも私の性格的に『無理だよ、ダメだよ』と言われた方が『なにくそ』と思えるタイプなので」
松岡「それもわかっていたんですか。大森さんには」
大森「いや、でもそれで辞めちゃうんだったら別に良いかなと。だってやりたかったら意地でも続けるじゃないですか。続けてくれるかどうかの見極めをするのも大事なことだと思うので」
松岡「なるほどね。選手の個性を見ながら大森さんも指導をされていると思いますけど、実際に千明さんが本気だぞと感じ始めたのはいつ頃からですか」
大森「1年くらい経ってからでしたね。ちょうど2008年の北京パラリンピックの前年に入ってきて、'08年の3月にはもう選考会が始まるタイミングだったんです。もともと1年じゃ間に合わないだろうと思っていたんですけど、記録がすごく伸びてきて、全盲の女子で初めてパラに出場できるかもというところまで来たんですね。でも結局はダメで、その時泣いている姿を見て、可哀想だけどこれなら大丈夫かなと」
松岡「悔し涙を見て、本気で挑んでいるのが伝わってきたんですね」
高田「本当にもう悔しすぎて、私はずっと泣いてました」
「やっぱり、嫌な人ですね(笑)」
大森「でも、うまく行かなくて良かったと僕は思いましたよ。正直、パラリンピックやオリンピックがこんなものだと思われたら困るなって。やっぱり挫折を経験して、その悔しさを持って次に臨んだ方が絶対に人は成長できるので。その悔しさを味わって欲しいと思っていて、まさにもくろみ通りでした」
松岡「負けて悔しがる姿を見て、これなら行けると思ったわけですね。やっぱり、嫌な人ですね(笑)」
大森「僕は短いスパンでは見てなくて、もともと北京の次のロンドンを目指す考えがあったんです。そこへ行くためには、一度へこむ経験も必要だろうと」
松岡「実際にへこみましたか」
高田「もう少しで出られるという所まで来て、色んなひとが応援してくれていたんです。母はあいかわらずですけど、父親は練習場への送り迎えをしてくれたり、そういう支えがある中で出られないのは本当に悔しかった」