オリンピックへの道BACK NUMBER
補欠でボール拾いから不屈の4年間。
卓球・平野美宇、打倒中国への覚悟。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2020/01/12 09:00
昨年12月、中国・鄭州で行われたグランドファイナルの初戦で敗れシングルス代表出場権を逃し、涙を見せる平野。
ボール拾いなどで懸命にサポート。
補欠となったことから、現地にはチームの一員として同行した。会場では代表選手たちの練習相手を務め、ボール拾いなど懸命にサポートする姿があった。
リオでは団体戦で銅メダルを獲得したが、その瞬間も場内で見届けた。その表情には、悔しさもあった。
それは思いを新たに固める機会ともなった。
「東京オリンピックこそ自分が」
思うだけにとどまらなかった。
リオが終わった後の2016年秋にはワールドカップで史上最年少優勝を果たした。
2017年の全日本選手権ではやはり史上最年少で優勝。そして同年のアジア選手権では、リオ五輪金メダリストの丁寧(中国)ら強豪を次々に撃破して、優勝したのである。
プレースタイルを根本から変えた。
それら好成績を生んだ要因はプレースタイルを根本から変えたことにあった。もともとは粘り強く打ち合う中で相手のミスを待つ守備的なスタイルだったが、強打を仕掛けていく攻撃的なスタイルを志向したのだ。
言葉で簡単に表せても、スタイルを実際に変えるのは容易なことではない。リスクもある。それでも変化を志し、身に着けたことにも覚悟が表れていた。
ただ、東京五輪への道は簡単ではなかった。日本には石川や伊藤らもいる。
自力で代表をつかめるシングルス2名を巡り、昨年末まで競争が続いた。世界ランキングは大会の成績で得たポイントで決まるが、大会のポイントは1年間有効だ。
当然、この1年に出てきた大会ほぼすべてが重要であったし、それ以前から大会でのシードを有利にするために成績を積み上げていなければならなかったから、リオが終わってからレースは続いてきたのである。