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バルサの神童アンス・ファティ。
アフリカの内戦に追われスペインへ。
text by
ロムアルド・ガデベクRomuald Gadegbeku
photograph byMiguel Ruiz/FC Barcelona
posted2019/12/26 07:00
バルセロナで16歳と304日目にしてゴールを決めたアンス・ファティ。バルサの最年少ゴール記録を見事に更新した。
“左翼にとってのユートピア”マリナレダ村。
ふたつ目の村は、最初の村からさらに60km程離れていた。
目抜き通りの壁にはチェ・ゲバラの肖像画が、フェデリコ・ガルシア・ロルカ(『血の婚礼』などで知られる劇作家・詩人。フランコ政権時代は作品が発禁処分となっていた)のそれと競い合うように、そこここに描かれている。
家々の窓には共和派の旗がはためいている。人口2626人の小村マリナレダこそは、1979年から村長を務めるファンマニュエル・サンチェス・ゴルディーリョが語るところの、ヨーロッパで唯一の「左翼にとってのユートピア」であった。
2008年にボリ・ファティはゴルディーリョと出会い、彼の専属ドライバーとなった。
ゴルディーリョはボリ・ファティのためにエレラに住む家を見つけ、2002年以来顔を見ていなかった家族を呼び寄せる手助けをした。
「ボリがここにやって来たとき、彼が携えていたのは誤った滞在許可証だった。それを正しく書き換えさせた。そうして妻と子供たちを呼ぶ準備を進めていった」とゴルディーリョが振り返った。
「どんな子供でも無償で受け入れるのがクラブの哲学」
ある日、仕事から戻ると、ボリ・ファティは息子のひとりがサッカーに長けていることを隣人たちから知らされた。ボリ・ファティが語る。
「彼らは私にその子は素晴らしいと言うが、私はそのときまでまったく知らなかった。実際にピッチまで出向いてこの目で確かめると、彼らの言うことは本当だった。息子は一旦ボールを持つと、ドリブルで相手のすべての選手を抜いていたんだ」
16歳304日でバルセロナ史上最年少のゴールスコアラーになる以前、アンス・ファティはエレラで最初のサッカークラブに入った。そのクラブ――CDFエレラは、マリナレダと同じ価値観を共有していた。
「彼は何も持たずにクラブにやって来た」とクラブの創設者であり会長も務めるホセルイス・ペレス・メニャは語る。
「どんな子供でも無償で受け入れるのがクラブの哲学だ。だから才能を開花させるために必要なものをすべて提供した」