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トッティ、愛するローマと喧嘩別れ。
「42歳の坊や」の見苦しい去り際。 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byUniphoto Press

posted2019/12/11 11:15

トッティ、愛するローマと喧嘩別れ。「42歳の坊や」の見苦しい去り際。<Number Web> photograph by Uniphoto Press

ローマの王様として誰もが愛したトッティ。相思相愛だったはずのクラブをこんな形で去るとは……。

EL快勝後に「私のチームだ!」

 ロマニスタたちが目を離せないのも、各ポジションにタレントが集まり、真に競争力のあるチームが生まれようとしているからだ。

 バシャクシャヒル(トルコ)とのEL第5節で3−0と完勝を収めた後、フォンセカは力強く宣言した。

「敵地で果敢に戦った。これは私のチームだ」

6月、トッティの失礼すぎる去り際。

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 今年6月、フロントにいた元主将トッティがクラブから去った。

 その去り際について、どうしても書き記しておきたい。

 ローマのシンボルだった男は、本来クラブとは無関係のFIGC(イタリアサッカー連盟)本部で辞任会見を開いた。「辞めてやる」と彼は言ったが、そもそもクラブ内で何の役職に就いていたかは今でもはっきりしない。

 パロッタ会長とその個人コンサルタントである元TDバルディーニとの不仲は周知の事実だったが、トッティは「経営陣から自分には何の権限も与えられていなかった」と愚痴り、全方面に毒を吐いた。

 会見場に集まった記者たちは内心狂喜乱舞だっただろう。元国民的スター選手が首都の人気クラブの内部事情という特ダネを、次から次にぽんぽんしゃべってくれたのだから。

 彼が話したネタすべてを列記するわけにはいかないが、聞き捨てならないことがいくつかあった。最たる物が、そのときすでに今季監督就任が決まっていたフォンセカについて述べた内容だった。

「フォンセカを呼ぶことについて、俺は知らされていなかった。もし事前に(招聘への賛否を)聞かれていたら、ノーと言ったに決まっている。俺はコンテがよかった」

 もし、その言葉を監督本人や現場の選手たちが聞いたら、という大人の気遣いを元主将は持っていなかった。「クラブは俺に対するリスペクトを欠いていた」とさんざん自分の口で言っておいて、己が愛したはずのチームに及ぼす影響をこれっぽっちも考えていなかったのである。

 ひと月もすれば新シーズンのキャンプインというタイミングで、新監督にも現場の選手たちにも失礼すぎる発言だった。

【次ページ】 ふんぞり返り、ぞんざいな物言い。

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