甲子園の風BACK NUMBER
中谷監督と黒川・東妻の3年間。
智弁和歌山、運命のドラフト会議。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2019/11/08 08:00
教え子の黒川史陽(左)、東妻純平(右)をプロへ送り出した智弁和歌山の中谷仁監督。ここからが勝負なのだ。
中谷監督「甲子園を目指した同士」
中谷監督がコーチとして母校に戻ったのは約2年半前。「僕が智弁に帰ってきたのと、彼らが入ってきたタイミングが同じだったので、3年間甲子園を目指した同士のような思いで付き合ってきた」と中谷監督は言う。
それでいて、妥協なく厳しく指導もしてきた。だが黒川を叱ることはあまりなかった。
「頑張りすぎてパンパンになって、イライラすることがあるので、その時だけは注意しますけど、それ以外はほぼ何も言わなかった。
技術面にしても、放っておいても向こうから、僕が気になっている同じところを質問してくるんです。野球が上手くなりたくてしょうがないから、常に野球のことを考えてやっている。そうなったらもう僕が言うことはないですよね」
ドラフト指名後の記者会見で中谷監督は、「肩が抜群に強いわけでもなく足がすごく速いわけでもなく、飛び抜けた能力があるのかと言われると、堅実な打撃ですが、プロでやっていくにはまだまだ足りない。
ですが、野球に取り組む姿勢や、努力し続けることに関しては、どのドラフト生よりも強く持って継続できる選手だと信じています。これだけ努力する選手が、プロの世界でどういう成果を残すのか、僕はすごく楽しみです。自信を持って、『行ってこい』という気持ちです」と胸を張った。
誰よりも叱られた捕手の東妻。
その黒川は、「日本人がまだ誰も達成したことのない打率4割」という高い目標を自らに課し、プロの世界に踏み出す。
記者に囲まれてそんな話をしながら、黒川は「純平、まだですか?」とソワソワしていた。
その時、記者会見場の下の、東妻が待機している事務所がドッと沸いた。横浜DeNAから4位で指名されたことを聞き、黒川もホッとした表情を浮かべた。
黒川とは反対に、中谷監督が一番叱ってきたのが捕手の東妻だ。それは東妻が本気でプロで活躍したいと言うからこその親心だった。