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伊藤拓摩、バスケ指導者が米国修行中!
「でも日本人ってシュートを狙わない」
posted2019/10/23 08:00
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
Yoko Miyaji
「僕、ぞっとするんですよね」
伊藤拓摩は、穏やかな笑みを浮かべながら、そんなことを言った。自分の過去を振り返り、違う道を進んでいたらどうなったのかと考え、恐ろしくなるときがあるのだという。
ひとつ目の例としてあげたのは、中学を卒業してすぐにアメリカに渡ったこと。コーチになりたいと思うようになったきっかけでもあり、高校、大学と、アメリカのコーチたちから多くのことを学んだ。大学ではコーチになるための勉強にも励んだ。確かに、その後の人生を左右する大きな決断だった。
伊藤が2つ目にあげたのは、自ら選択したことではなく、むしろ思うようにいかずに、悔しい思いをした出来事だった。
伊藤は、2015-'16と2016-'17の2シーズン、アルバルク東京('15-'16はトヨタ自動車アルバルク東京)のヘッドコーチを務めた。この2年とも、接戦の末、あと一歩のところでリーグ決勝進出を逃していたのだが、「あの時に、もし決勝に進んでいたらと考えるとぞっとする」と言うのだ。
「決勝に出ていたら、優勝していたかもわからない。そうしたら、そのままコーチをやり続けていたかもしれない。でも、コーチをやり続けていたって考えると、本当に怖いです」
この心境を理解するには、当時の状況の説明が必要だろう。
「『俺はコーチとして生まれてきた』ぐらいな(笑)」
伊藤がアルバルクのアシスタントコーチからヘッドコーチに昇格したのは、彼がまだ33歳のとき。そしてその翌年、伊藤にとってヘッドコーチ2シーズン目は新しく始まったBリーグ1年目というタイミングだった。
Bリーグの記念すべき開幕戦のカードを戦うチームとして選ばれたアルバルクは、田中大貴や竹内譲次、松井啓十郎といった日本代表級の選手たちや、元NBA選手のディアンテ・ギャレットがいて、マスコミから「エリート軍団」と呼ばれる注目チームだった。
ヘッドコーチ2年目にして、日本バスケットボール界でこれまでにないほどの注目と期待を担うことになったのだ。
高校のときからコーチを目指していた伊藤は、そんな状況にプレッシャーを感じながらも、自分のコーチングに絶対的な自信をもっていたのだという。そんな時、突然、チームから解任を言い渡された。
「当時は今より自信家で、不安がなかったんです。おおげさに言うと『俺はコーチとして生まれてきた』ぐらいな(笑)。でも首になったことで、自分の悪いところが色々と見えてきたんです。それで自信を失い、メンタル的にも落ち込むこともありましたけれど、でも、今となってはよかったと思っています。これを気づかずにずっとコーチしていたら、ただの裸の王様になっていました」