令和の野球探訪BACK NUMBER
甲子園にも、侍ジャパンにもいない。
京都で見た、プロ志望の逸材遊撃手。
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2019/09/04 19:00
流れるような守備でSNS上でも話題を集めた京都国際・上野響平。甲子園出場はならなかったが、プロを目指し、今日も笑顔でボールを捌く。
今夏は府大会準優勝。
「このグラウンド、どう跳ねるか分からへんのです。でも、ドミニカやキューバはもっと酷いグラウンドでやっていますからね」
そう明るく笑い飛ばすのは京都国際高校の監督である小牧憲継(のりつぐ)、36歳。身長165cmと小柄ながら京都成章では1年時からレギュラーを張り、関西大に進んだ元内野手だ。名門校でプレーし、滋賀銀行に就職したがわずか半年で退職し、同校のコーチに就任。翌春から監督に就任した。
同校の前身は京都韓国学園。在日韓国人のための高校として1947年に創立され、1999年の夏の創部時には外国人学校初の高野連加盟とあってメディアで話題になった。その年の夏に0-34で敗れるが、その対戦相手が京都成章で、1年生でレギュラーの小牧もいた。2003年に京都国際に改称して一条校として認可。以降は日本人の生徒も増え、野球部は現在全員日本人だ。
創部21年目の今春には京都大会で初優勝を飾った。今夏は決勝で立命館宇治に2-3で敗れて甲子園初出場はならなかったが着実に力をつけてきている。
世界で通用する選手を育てる。
指導で最も重きを置いてきたのは「1人でも多く上の世界で通用する選手を育てる」ということ。小牧は「角を磨くよりもエンジンをデッカくしようということです」と表現する。
そうした指導の中で中学時代は無名の存在だった申成鉉(シン・スンヒョン/元広島)、曽根海成(ソフトバンク→広島)、清水陸哉(ソフトバンク)がNPBへ羽ばたいていった。
上野もまた中学時代は大阪の貝塚シニアのレギュラーとして全国大会に出場してはいたが、160cm、50kgほどの体格で大きく目立つ選手ではなかった。ただ小牧はボール回しの1球でひと目惚れしたという。
「ボールへの嗅覚ですね。まるでボールが体へ勝手に吸い付いていくような感覚に見えて“これは凄い。こんな中学生は初めてや”と思いました」