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イタリアで育った怪物の現在地。
森本貴幸は“消えた天才”ではない。 

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寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

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photograph byYoshikazu Shiraki

posted2019/08/29 12:00

イタリアで育った怪物の現在地。森本貴幸は“消えた天才”ではない。<Number Web> photograph by Yoshikazu Shiraki

試合翌日にもかかわらず、森本は終始笑顔でカターニャでの日々を振り返ってくれた。

カターニャのオファーにすぐ「行きます」。

 結局、Jリーグでプレーしたのは2年半程度。彼は18歳で単身セリエAのカターニャへ渡る。

「それまでもプレミアやブンデスから、練習参加のオファーがあったんです。でも正式なレターが届いたのはカターニャが初めてでした。あの頃は、とにかく新しい環境で挑戦したかったので、オファーが来てすぐに『行きます』と返事をしました。僕が小学校の頃はヒデさんがセリエAで活躍するのをテレビで観ていたし、大好きだったトレゼゲがユベントスでバリバリ点取ってたし、そのリーグで出来るのが嬉しかったです」

「怪物」とも「和製ロナウド」とも呼ばれることのないシチリアの田舎町に、森本はすぐに順応する。

「生活も1人で、当時はスマホもないし、ネット環境も悪かったし、日本の情報なんて入ってこないですよ。でもようやく落ち着いて、自分だけの世界でやっていける、という感覚がありました。日本代表でもない18歳の若僧なのに、チームメイトも輪に入れてくれたし、町の人もすごい声かけてくれるし、本当に幸せでした」

ローマから奪ったゴールで人生が一変。

 森本が移籍した当時のカターニャは、セリエAに23シーズンぶりに昇格したばかり。それから降格することなく、8シーズンもの間セリエAに残留し続けることになる。

 カターニャ最良の日々、そこに森本はいた。7シーズン(1シーズンのみ、ノバーラにレンタル移籍)で挙げたセリエA通算19ゴールは中田英寿に次ぐ日本人歴代2位である。

「特にカターニャのホームで3-2で勝ったローマ戦(2008年12月21日)。この試合での2得点は転機になりました。あのシーズンの前半は出場機会が少なくて、後半はセリエBのチームにレンタルされることが、ほぼ決まっていました。それでこの試合が終わったら、という最後の試合でスタメンで使われたんです。そこで2点取って、しかもローマに勝った。そこから監督の評価が一気に上がりました。後半戦はほぼスタメンでした。結局シーズン7得点。あの試合で、やっぱりゴールという結果がすべて、ということに改めて気づかされました」

【次ページ】 親友もいる、第2の故郷になった街。

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森本貴幸

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