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イタリアで育った怪物の現在地。
森本貴幸は“消えた天才”ではない。

posted2019/08/29 12:00

 
イタリアで育った怪物の現在地。森本貴幸は“消えた天才”ではない。<Number Web> photograph by Yoshikazu Shiraki

試合翌日にもかかわらず、森本は終始笑顔でカターニャでの日々を振り返ってくれた。

text by

寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

PROFILE

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Yoshikazu Shiraki

 森本貴幸、31歳。

 2004年に彼が15歳で記録したJ1最年少出場、J1最年少得点。そして同年、16歳での最年少Jリーグ最優秀新人賞。Jリーグ全体での最年少出場、得点記録は久保建英に破られたものの、J1での記録はこれから先もしばらく更新されることはないだろう。

 その存在は小学生の時から有名だった。筆者は東京ヴェルディU-12に所属していた当時の彼のプレーを間近で見たことがある。

「モリ(森本)はマジで怪物だった」

 一緒にプレーしていた同級生も話す通り、完成された体格、重戦車のような推進力、そしてミサイルのようなシュート。小学生の中に高校生が、いや大人が混じっているような、まさに規格外のストライカーであった。このまま順調に育ったら、必ず日本の将来を担う存在になる。そう感じた。

アルディレス「自分を見失っちゃだめだ」

 その予感通り、Jリーグでのデビューはまさに、鮮烈そのもの。並み居るJリーガーを相手に堂々と、時には凌駕してしまうプレーの数々に、すぐに15歳のストライカーには「怪物」「和製ロナウド」といった異名が付けられる。そして、決定力不足が叫ばれて久しかった日本サッカー界は沸きに沸いた。

 しかし、突然の環境の変化は少年にとっては重荷でしかなかった。「お父さんのような存在だった」という東京ヴェルディの監督、オズワルド・アルディレスも「絶対に自分を見失っちゃだめだ」と森本に話していたが、いつしか彼は周囲が求めるプレーを追い求めるようになった。

「15歳で別世界に来て、勝手に周りが騒がしくなってきて。自分がやりたいプレーではないのに、周りの要求にも応えなきゃいけないという葛藤は常にありました」

【次ページ】 カターニャのオファーにすぐ「行きます」。

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