フランス・フットボール通信BACK NUMBER
地中海に浮かぶ小さなフヴァル島は、
“世界一のサッカー濃度”を誇る土地。
text by
ギヨーム・バルーGuillaume Balout
photograph byFacebook Nogometni Klub Hvar
posted2019/08/24 18:00
フヴァル島で最も成功したクラブであるNKフヴァルの選手たち。大陸側のリーグにまで進出したこともあるが、現在は島のリーグにて戦う。
島のリーグからクロアチア本土のリーグへ。
「プレンコビッチ兄弟はスビルチェ村の出身が、クラブはそのアドバンテージを十分に生かしてはいない」と、ジャドラン・スタリー・グラードの首脳のひとりで、かつてパリ・サンジェルマンでもプレーした(1981~'82年)元ユーゴスラビア代表イビカ・スリヤックの従弟でもあるイゴール・ドゥゼビッチは言う。
試合は5-1とNKフヴァルの大勝に終わった。NKフヴァルがこのまま首位をキープすると、地域の2部リーグ昇格の問題が再燃することになる。これまでのところNKフヴァルは、本土のリーグに所属することが認められた唯一のクラブである。実際、2018年にフヴァルリーグ復帰を決めるまで、NKフヴァルは2013年から5年間、郡の2部リーグに所属したのだった。
「本土のリーグに戻るとしたら、それはわれわれのホームスタジアムでの試合が認められたときだけだ」と、アレクサ・フィリチェビッチはいう。
NKフヴァルのスタジアムは、ピッチが人工芝であるうえ規格も公式ピッチの大きさに満たない。とはいえクラブは今、今世紀初頭のころのように第一線に復帰することを望んでいる。
クロアチア本土のクラブ数より増えた時期も。
2003年に郡のサッカー協会は、1部と2部を廃止してリーグをひとつに統合した。その結果、チームを失った選手が多く島に流入し、3年後にフヴァルリーグは、本土の地域リーグをチームの数で上回った。この幸運が、さらなる野心に火をつけた。ポスコク・ピトブとユスニヤク・スベタ・ネドジェリアのふたつのクラブは、本土の優れた選手を積極的に集め、彼らに相応のサラリーを支払ったのだった。
「当時のリーグのレベルは本当に素晴らしかった」と、リーグコミッショナーを務めるゴルダン・ドラジチェビッチは振り返る。
だが、それによりリーグ全体のバランスが失われ、クラブの財政をひっ迫させた。
ピトブはリーグタイトルを獲得した2009年に破産を宣言し、スベタ・ネドジェリアは2012年にリーグ優勝を果たしたが、2013年にはチーム存亡の危機に陥り、未だに立ち直っていない。出場機会を求めて島にやって来た選手たちも、2012年に本土で2部リーグが再建されると次々と去っていったのだった。