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FIFAランク162位、W杯予選に挑戦!
吉田達磨監督のシンガポール改革。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byGetty Images
posted2019/07/26 11:50
シンガポール代表監督に就任した吉田達磨。西野朗、本田圭佑らとともに指導者としてW杯アジア予選に挑む。
柏、新潟、甲府での途中退任。
明日も指導したい――。その想いは、監督・吉田達磨を貫く芯だと言っていい。
とにかく現場に立ち、教えるのが大好きな、根っからの指導者なのだ。あのときも、そうだった。
2018年4月、吉田は成績不振のため、ヴァンフォーレ甲府の監督から退任を余儀なくされた。シーズン途中の退任は、新潟時代に続いて2度目。志半ばでの退任は、柏時代から3チーム連続だった。
甲府のことが心底好きだったから、心に深いダメージを負ったのは間違いない。しかし、再びファイティングポーズを取るのに、時間が掛かったわけではなかった。
「次の日には、どこかで指導したいと思っていました。前年にJ2に落ちたのは残念だったけど、あれだけ負けたのに選手たちは離れていかなかったし、辞めるときもなお、彼らはひとつになって戦おう、という空気を出してくれた。新潟のときもそうだけど、選手の成長を間近で見られて、ファンやサポーターには申し訳なかったですけど、指導者として自信になったのはたしかです」
さらに、吉田にとって忘れられないのは、甲府の地から去るときの風景だ。
「練習場で選手たちに最後の挨拶をして、車で出て行こうとしたら、ファン、サポーターの方がいっぱい集まってくれていて……。サインや写真撮影を求められ、最後には拍手で送り出してくれたんです、クビになった監督を。そんなクラブ、なかなかないですよね。5年、10年かけてこのチームをもっと良くしたかった――そう感じさせてくれたチームでした」
講演会のはずがいつの間にか指導。
監督就任への意欲をたぎらせる吉田は、しばらくして日本全国を飛び回ることになる。きっかけは、友人から依頼された暁星国際高校での指導だった。
「もともと講演会を依頼されたんですけど、『俺の話なんかを聞くより、練習したほうがいいんじゃない?』って急きょ練習したんです。その様子がSNSに上がったら、『え、指導してくれるの?』という感じで、いろんなところから声を掛けていただいて」
オファーがあれば、日程の許す限り、全国を訪れた。
途中、あるクラブからフロント入りの打診を受けたが、熟考したうえで断った。現時点では監督業に未練がある。そんな自分がフロントに入って、腰を据えて仕事ができるのか。その覚悟がないうちは、フロントには入らないほうがいい……。そんな結論に達したからだ。
「あの頃は本当に自分とたくさん話しましたよね。俺はなんなんだろうとか、そもそも俺はなんで監督をやっているんだろうとか……」