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FIFAランク162位、W杯予選に挑戦!
吉田達磨監督のシンガポール改革。
posted2019/07/26 11:50
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Getty Images
もし、そのオファーが別の国から届いたなら、代表監督・吉田達磨は誕生していなかったに違いない。
昨年末、いくつかのJクラブから監督就任の打診を受け、このときはまとまらなかったものの、今夏のJクラブ監督就任を優先して考えていた吉田が、そのときを待たずに海を渡る決断を下したのは、新天地がシンガポールだったからである。
「日本サッカー協会の旧知の方から連絡をいただいたんです。『シンガポールが代表監督を探していて、日本人で良い指導者はいないかと言っている。どうかな?』って。ただ、周囲に相談するなかで、5、6月にJクラブからオファーをもらえる可能性があったから、そこまで待つつもりだったんです。だから、今回は難しいなと思ったんですけど、シンガポールかと。それで、話だけでも聞かせてもらえますかって。それが2月20日のことでした」
なぜ、シンガポールが、吉田にとって気になる場所だったのか――。
成田空港で会って感じた熱意と本気。
中学時代を日立サッカースクール(のちの柏レイソルU-15)で過ごし、東海大浦安高を経て柏でプロ選手となり、京都パープルサンガ、モンテディオ山形と渡り歩いた吉田が現役最後のクラブとして選んだのが、シンガポールのジュロンFCだったのだ。
「現役の最後に行ったというのが、イメージするうえで本当に大きくて。それで、向こうの副会長、ゼネラルセクレタリーのふたりと、インターネットを介して面談をしたんです。そこで、『シンガポール代表を良くしたい』と熱く説かれた。自分の中で10%くらいの可能性だったのが、それでグッと上がって」
吉田の心を掴んだのは、画面越しの熱弁だけではなかった。吉田が5日後、サッカークリニックを行うために台湾に向かうことを知った副会長はこんな提案をする。
ちょうど海外出張中で、日本に立ち寄るから、空港で会おうじゃないか――。
「それで早朝、成田空港のラウンジで会って。熱意や本気度をすごく感じましたね。ただ、この時点で条件提示はなかったので、『このあと、こちらからも条件を出して、前向きに考えます』と答えて飛行機に乗ったんです」