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日本人設立の独クラブが5年連続昇格。
岡崎慎司と滝川二先輩の下剋上物語。
 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byTakashi Yamashita

posted2019/07/09 17:00

日本人設立の独クラブが5年連続昇格。岡崎慎司と滝川二先輩の下剋上物語。<Number Web> photograph by Takashi Yamashita

岡崎慎司が設立した「FCバサラ・マインツ」で指揮を執る山下喬。ドイツの地で知られざる快挙を成し遂げている。

「無知って怖いですよね」

 途方に暮れたが、ヤンから1つだけ電話番号を聞いていたことを思い出し、山下は空港のインフォメーションセンターで電話をかけてもらった。5時間後に迎えが到着し、車で2時間かけて山奥に移動すると、人口約1100人の村にあるドイツ5部のクラブ(TSGヴァッテンバッハ)でプレーできることが決まった。

「無知って怖いですよね。それがすべての始まりでした」

 山下のポジションはトップ下で、技術は自分が一番だと思ったが、なぜか試合で活躍できない。ドイツサッカーの連携や感覚に慣れていないことが原因だと考え、セカンドチームでのプレーを監督に直訴。土曜日に一軍の試合に出場し、日曜に二軍の試合に出場するという“ダブルヘッダー”を繰り返し、少しずつ自分のプレーを出せるようになっていった。

「チームとして1年目はぎりぎりの残留だったんですが、2年目にリーグ優勝できた。そうしたら代理人が現れて、『君を移籍させてやる。カイザースラウテルン、ニュルンベルク、マインツのセカンドチームから選べ』と。迷わずマインツを選びました」

香川の前にクロップの薫陶を受けた。

 2006年1月、山下はマインツのセカンドチーム(ドイツ4部)へ移籍した。当時、マインツのトップチームの監督はユルゲン・クロップ(現リバプール監督)だった。山下は加入すると、なぜかトップチームに呼ばれ、エジプト代表FWのモハメド・ジダンやドイツ代表DFのマヌエル・フリードリヒに混じって練習することになった。

 香川真司の前にクロップの薫陶を受けた日本人がいたのである。

「クロップはファミリー感が強くて、すごく温かい人でした。ただ、僕のことは覚えてないと思います。練習でもトレーニングマッチでも、全然通用しなくて。同じポジションにのちにブラウンシュバイクに移籍するブランチッチやシャルケに移籍するノイシュテッターがいて、めちゃくちゃレベルが高かった。

 半年でマインツのセカンドチームとの契約も切れ、その後5部や6部をうろうろして23歳で引退することを決心しました」

【次ページ】 「ドイツで一旗揚げたい気持ち」

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