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日本人設立の独クラブが5年連続昇格。
岡崎慎司と滝川二先輩の下剋上物語。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byTakashi Yamashita
posted2019/07/09 17:00
岡崎慎司が設立した「FCバサラ・マインツ」で指揮を執る山下喬。ドイツの地で知られざる快挙を成し遂げている。
「ドイツで一旗揚げたい気持ち」
山下は工作機械を販売するマインツ近郊の工作機械関係の日系企業に就職し、サッカーの世界からは退いたつもりだった。
だが、サッカーへの思いが再び強くなり、独立して選手留学をサポートするビジネスを開始。2年間経験を積んだ頃、ユーロプラスインターナショナル社から誘いを受けてドイツ拠点の担当者になった。
「引退後に日本へ帰るという選択肢もありましたが、『結局プロになれなかったじゃないか』と後ろ指を指されるのが嫌でドイツに残りました。めちゃくちゃつまらないプライドです。でもドイツで一旗揚げたいという気持ちだけは強く持っていました」
サッカー留学ビジネスの傍ら、2010年、山下は指導者としての挑戦も始めた。
「マインツに連絡したら、セカンドチームでプレーしていたことも考慮してくれて、U14で研修させてもらえることになった。翌シーズンからは正式にU12のコーチになり、計4年半弱関わらせてもらいました」
岡崎がマインツに来たという必然。
そして2013年夏、岡崎がシュツットガルトからマインツへやって来た。すでにシュツットガルト時代から連絡を取り合っていたが、岡崎がマインツに加入したことで一気に距離が近くなった。
冒頭で書いたように、そこからバサラの歴史がスタートする。滝川二高から始まってマインツで交わる2人の道のりは、偶然の一言では片付けられない必然を感じざるを得ない。
山下がプレーオフに勝って6部への昇格を決めたことを岡崎に報告すると、こんなメッセージが届いた。
「タカシくん、すごいですね」
山下はすぐさま「めっちゃ他人事やん!」と突っ込んだが、岡崎らしいとも思った。岡崎は常々こう言っているからだ。
「そんなに焦んなくてもいいじゃないですか。サッカー人生はうまくいかないときもあるでしょ。うまくいかないシーズンの経験も必要なんです。短期決戦じゃなくて、10年、20年、50年続くチームにしたいんで」