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日本人設立の独クラブが5年連続昇格。
岡崎慎司と滝川二先輩の下剋上物語。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byTakashi Yamashita
posted2019/07/09 17:00
岡崎慎司が設立した「FCバサラ・マインツ」で指揮を執る山下喬。ドイツの地で知られざる快挙を成し遂げている。
「ドイツでクラブを立ち上げたい」
2人の子供はマインツ市内の同じ幼稚園に通っており、子供を送ったあとにカフェでお茶をするのが日課になっていた。そんな“朝カフェ”のある日、岡崎が山下にこう提案したという。
「タカシくん、ドイツでクラブを立ち上げるとかどう思いますか?」
山下自身も同じことを考えており、意気投合して一気にクラブ創設の準備に取り掛かった。2014年3月のことだ。
クラブ名は岡崎が履いていたスパイクの名前から着想して「バサラ」と名付けられた。岡崎は山下に理由をこう説明した。
「ダイヤモンドという意味に加えて、戦国時代に下剋上を意味する言葉として使われていたそうなんですよ。下から這い上がっていく。僕たちにぴったりじゃないですか」
あれから5年――。バサラは一度も止まることなく成長し続け、ドイツの地に自分たちの城を築き上げようとしている。
高校卒業後に単身でドイツへ。
ただし当然ながら、ビッグプロジェクトは一朝一夕で成し得るものではない。約10年間におよぶ山下の“ドイツでの挑戦”があったからこそ、それが土台になり、バサラが迷わずに突き進むことができている。
山下がドイツに来たのは、2003年3月のことだ。滝二でレギュラーになれなかったにもかかわらず、「俺はヨーロッパでプロになる」と宣言し、高校卒業後にドイツへ飛び込んだのである。
「同級生にくっついて京都パープルサンガ(当時)の練習へ参加したとき、ドイツとつながりのあるヤン(チェッチーナ)さんという方と知り合い、『3月何日にフランクフルト空港へ行け』と言われたんですね。その情報だけでフランクフルトへ飛びました。ある意味当然なんですが、空港に到着しても誰もいませんでした」