“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
選手権得点王・染野唯月が鹿島へ。
常勝軍団を作るスカウトの柔軟な目。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/07/04 17:30
鹿島アントラーズ入団が発表された尚志高校3年・染野唯月。安部裕葵ら主軸の海外移籍も取り沙汰される中、背負う期待は大きい。
鹿島ユースに昇格できなかった染野。
もう1つ、彼には鹿島との縁があった。
鹿島には直属の下部組織が3つある。「本家」と呼ばれる鹿島ジュニアユース、そして、つくばジュニアユースとノルテジュニアユースだ。茨城県出身の染野は小学校、中学校とつくばジュニアユースに所属していたが、そこから鹿島ユースに昇格することができず、福島にある尚志高校に進学した。
「本家は『アントラーズ』という目で見られていましたが、僕がいた時のつくばはどこか格下のように見られている印象がずっとありました。それに、僕は『ユースへ昇格できなかった選手』なので、絶対に見返したいという気持ちが強かった。だから高校でもっと成長するという覚悟を持てました」
ただ、染野自身も「プロに行けることを想像していなかったですし、まさかアントラーズに戻れるなんて……」と語ったように、プロとして鹿島に戻ることは決して簡単ではない。ジュニアユース出身選手が高校を経て鹿島に加入した例は、FW佐々木竜太(2006年入団、現・南葛SC)の1人のみ。さらにいえば、佐々木は染野と違って「本家」の鹿島ジュニアユース出身だった。
「周りからも『高卒でアントラーズに入ることは難しい』と言われていた。大学からもアントラーズは即戦力の選手しか獲得しないので、それも厳しいのではと思っていた」
転機となったFWへのコンバート。
だが、そんな彼に鹿島からオファーが届いた。
中学時代まではボランチだった染野は、仲村監督に高さ・キープ力・シュートセンスを見出されFWにコンバートすると徐々に才能が開花し始める。「2年生になってから注目をしていました」と鹿島スカウトの椎本氏が語ったように、高2になるころには知る人ぞ知るストライカーに成長していた。
「獲得の決め手は昨年の選手権。点を取れる選手だと思ったし、そこに至る過程も素晴らしかった」(椎本氏)
前述した通り、染野は選手権でゴールを量産。前橋育英高校、帝京長岡高校、青森山田高校と強豪相手に3試合連続ゴール。得点パターンもドリブルで持ち込んだものから、スルーパスやパスワークからの抜け出したもの、クロスからのゴールとバリエーションが豊富だった。選手権前の高円宮杯プレミアリーグ参入決定戦の横浜F・マリノスユース戦では、前線で圧倒的な存在感を見せつけ、チームをプレミアリーグに導く打点の高いヘッドを決めていた。