バレーボールPRESSBACK NUMBER
栗原恵がいま語る17年間の波乱万丈。
「レールを敷かれた人生が嫌いで」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2019/06/29 11:55
悔しい時もつらい時も、母からの言葉「凛と」を胸に戦っていた。
母にもらった「凛と」という言葉。
2011年にはロシア1部リーグのディナモ・カザンに移籍し、その後、岡山シーガルズ、日立リヴァーレと渡り歩き、最後は、かつて日本代表やパイオニアで共に戦った吉原知子が監督を務めるJTマーヴェラスで現役生活を終えた。
どんな障害があろうと、周囲に何を言われようと揺らぐことなく、自分の心に正直に決断を下してきた栗原の生き方には、芯の強さを感じずにいられない。
決断をする際に指針となってきたものは何だったのか。そう聞かれると、栗原はこう答えた。
「周りからは、『しんどい方にばっかり行くよね』と言われるんですよ(苦笑)。自分では全然そんな意識はないんですけど、でも、どっちに行くと自分が成長できるかなというのは考えます。最初に姫路の中学校に飛び込もうと思った時もそうですが、『ここに入ったら自分がどうなるのかな?』と期待できるところを、今まで選んできていますね。
それと、母からはずっと『凛と』という言葉をもらっていました。私が怪我をしてコートに立てなくても、必ず応援席に来てくれる両親だったんですが、『ベンチに入っていなくても、凛とした姿でいてほしい』ということを節目節目で言われていました。
最後の引退試合の前にも、母からは『凛とした姿でいてくれればそれでいいから』と連絡をもらって。だからその言葉はすごく意識して、悔しい時やつらい時も、そういう人でいたいとか、そういう選手でいたい、というのはずっと思っていました。だから犬を飼ったら、『凛』っていう名前をつけようと思ってます(笑)」
「凛と」
その言葉を聞いて改めて振り返ると、なるほどと腑に落ちる栗原の姿がいくつも思い浮かんだ。
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(後編に続く)