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栗原恵がロンドン五輪落選で考えた、
自分の価値とバレーを好きな気持ち。

posted2019/06/29 12:00

 
栗原恵がロンドン五輪落選で考えた、自分の価値とバレーを好きな気持ち。<Number Web> photograph by Atsushi Hashimoto

東京五輪を目指す後輩たちには「怪我をせず、最後まで思い描くプレーをしてほしい」とエールを送る。

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph by

Atsushi Hashimoto

 6月10日に行われた引退記者会見に、栗原恵は黒のパンツスーツ姿で現れた。187cmのスラリとした長身と、色白で小さな顔が引き立つ。

「アスリートなので、パンツスーツスタイルが一番いいかなと思って」

 その言葉を聞いて思い出した。

 2007年のことだ。当時、日本代表のユニフォームの背中に入れる名前を、愛称にする流れがあり、その前年、栗原に用意されたユニフォームにも「MEGU」という文字が入っていた。しかし、2007年のユニフォームの文字は「KURIHARA」。本人の希望で変えたものだった。

「その方がピシッとしているというか、重みがあるじゃないですか。人それぞれ考え方があるとは思いますが、私としては、ユニフォームはちゃんとした形にしたいと思ったので」

 そう話す当時の姿が、凛々しく見えたものだ。

 そんな栗原だから、2003年のワールドカップで、同級生の大山加奈さんと共に大活躍して「メグカナ」と注目され、「プリンセス・メグ」と呼ばれてアイドル扱いされることに、違和感を覚えた時期もあった。怪我をしたことも相まって、マスコミに嫌気がさしたこともある。

「正直、(2011年に)ロシアリーグに行ったのは、静かな環境でバレーをしたかったというのもあったんです。今思えば、怪我をして代表に選ばれるかどうかのギリギリのラインなのに、メディアの方が気にしてくれて、取材させてくださいと言ってくれるのはすごいことだと思うのですが、当時の自分は、恥ずかしい姿を見せたくないという気持ちが強かったんです。インタビューされると絶対泣いてしまうというのもありましたし(苦笑)。弱い部分を見せたくありませんでした」

他の競技の友人に「うらやましい」と言われ。

 ただ、のちに栗原の思いは変わっていく。

「若い頃は、ありがたいなというふうに思えなかったんですけど、その後、怪我のリハビリ中に他の競技の友達ができて、話を聞くと、バレーボールは恵まれていて『うらやましい』と言われることがすごく多かったんです。

 確かに、注目されて、人に応援してもらえることはアスリートにとってすごく力になりますし、ちょっとした試合でもテレビで放送していただいたり、どこに行っても頑張ってねと声をかけてもらえる。それは本当に幸せなことなんだと思うようになりました」

【次ページ】 ロンドン五輪の落選で流した涙。

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