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栗原恵、バレー人生に笑顔のピリオド。
ケガ、五輪落選も、すべて幸せ。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKiyoshi Sakamoto/AFLO
posted2019/06/11 17:30
今後については未定としながら、何らかの形でバレーボール、スポーツ界に関わっていきたい意向を明かした。
「見本になれる選手」(吉原監督)
いいことも、苦しいことも数えきれないほどにあり、印象的な試合は、と問われても大げさではなくすべてが栗原にとっては特別で、大切なものばかり。岡山だけでなく日立、JTでは、メグカナフィーバーに沸いた頃は小学生だったというチームメイトとプレーしながら、その時々で、今の自分ができることに必死で取り組んできた。
特に、ラストシーズンに在籍したJTは、アテネ五輪や、パイオニアで共にプレーした吉原知子監督が率いるチームだ。「ストイックだということはよくわかっていた」と栗原も言うように、選手への要求はもちろん、日々の練習やトレーニングの質も高く、合流当初は「毎日が強化合宿みたいだった」と栗原は笑うが、その真摯に取り組む姿勢を誰よりも高く評価してきたのが吉原だった。
「口数は多くないけれど、苦しんでいる選手にさりげなく声をかけたり、和ませる雰囲気をつくれる。選手、監督として接した立場は違いますが、歳を重ねてもどんな時でもひたむきで一生懸命取り組む、下の子に対しても見本になれる選手。栗原はチームにとって、貴重な存在でした」
自分でピリオドを打てる幸せ。
引退会見の席上、栗原は「吉原監督から、長きに渡り引き留めの言葉もいただいた」と明かし、感謝を示すと共に、こうも言った。
「コートに立つ機会は少なかったですけど、どんな時でもチャンスが来た時にベストを尽くせる準備をする。ハードなトレーニング、練習は手を抜くことなくやりきれた自信はあって、きっともう1年頑張ろうと思えば、できる自信も正直あります。
もちろん試合に負けて悔しいとか、できないことがあれば克服したいという思いは消えなかったですけど、それでも自分の中では、“コートの中に置いてきたものがない”と感じることができた。一緒にやろう、と言って下さる方がいる中で、自分でピリオドを打てる選手でいることが幸せだ、と感じられる今、引退をしようと決意しました」