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栗原恵、バレー人生に笑顔のピリオド。
ケガ、五輪落選も、すべて幸せ。
 

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

PROFILE

photograph byKiyoshi Sakamoto/AFLO

posted2019/06/11 17:30

栗原恵、バレー人生に笑顔のピリオド。ケガ、五輪落選も、すべて幸せ。<Number Web> photograph by Kiyoshi Sakamoto/AFLO

今後については未定としながら、何らかの形でバレーボール、スポーツ界に関わっていきたい意向を明かした。

新たな楽しみを見つけた矢先に……。

 ケガ、手術、落選。ましてや自身が出場できなかったロンドンで、女子バレー日本代表は28年ぶりに銅メダルを獲得した。失意を味わうには十分すぎるほどの要素で、そのまま引退しても不思議ではない。だが、その苦い経験が栗原には別の転機になった。

「ロンドン五輪の選考に落ちた時は正直すごくつらかったです。けれど一度その時点で背負っていたものがすべて落ちたというか、プレッシャー以上に、本当にバレーボールが好きだった、ということを思い出せたのかな、と思います」

 '12年に岡山シーガルズへ移籍後は、高く跳んでブロックの上や横から打つスパイクだけでなく、ブロックに当てたり、利用して1点を取る新たなバレーボールの楽しさを知った。

 この先どんな引き出しが増えるのか。そんな期待も高まった矢先、また、予期せぬ事態に見舞われる。'13年2月、ピンチサーバーとして急遽出場した試合で、サーブを打った後に相手のスパイクボールを拾おうと、右に重心をかけた状態から左に切り返そうとした瞬間、右膝に激痛が走り、ボコッと大きな音がした。

「誰かとぶつかって跳び蹴りされたのかな、と思ったんです。でも周りを見たら誰もいなくて、自分で立つこともできなかった。あぁ、膝をやっちゃったんだな、と。さすがにもう無理だと思ったし、引退も考えました」

勇気をもらったリハビリ室。

 術後に麻酔が切れると激痛に襲われ、夜中に大泣きしたこともある。競技復帰どころか、立てるようになるのか。歩けるようになるのか。不安と恐怖で逃げたくなったことも一度や二度ではない。だが、そのケガがなくコートに立ち続けていたら得られなかったであろう出会いが、栗原に前を向かせる力をくれた。

「病院のリハビリ室で歩行練習をしていると、おじいちゃんが『元気になるよ』って脚を触って来て、理学療法士さんに『ダメでしょ』って怒られて、笑っているんです(笑)。別のおばあちゃんは『治るよ。大丈夫。頑張ってね』と会うたびアメをくれるし、バレーボールをしている大学生が退院する時に『栗原さんにずっと憧れてバレーをやってきたから、一緒にリハビリができて本当に嬉しかったです』とお手紙をくれたり。

 自分のことをそんな風に思ってくれる人がいるなんて考えたこともなかったから、私のほうこそ嬉しかった。出会って、支えてくれたいろいろな人たちに助けられました」

【次ページ】 「見本になれる選手」(吉原監督)

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