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原巨人の知られざる的確な補強。
メジャーで学んだ敏腕の履歴書。 

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木崎英夫

木崎英夫Hideo Kizaki

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photograph byKyodo News

posted2019/02/12 07:00

原巨人の知られざる的確な補強。メジャーで学んだ敏腕の履歴書。<Number Web> photograph by Kyodo News

炭谷銀仁朗、丸佳浩をFAで獲得した一方、人的補償で内海哲也、長野久義が移籍。原監督はその裏で、着実にチーム作りを進めていた。

WBCで様々なアドバイス。

 原氏は10年前をこう述懐した。

「相手選手の情報はもとより、(メジャーリーグの)審判の癖やアピールすべきタイミングなど、幾つものアドバイスを受けてとても助かった。国際大会での不安はなくなり、自分の指揮に集中できた」

 原氏がWBCでアントニーに好印象を抱いたのは確かだが、これが直接、今回のオファーに結びついたわけではない。大会後も現場で知見を広げていたアントニーの歩みが、巨人軍の組織を構築する上で有益になると判断したからだった。

「これからのチーム作りやフロントの在り方において、アントニーがアメリカで培ったノウハウは必ず活性化を生むはず。だから、配属先を1つに決めずに動いてもらうことで球団とも一致している」

 アントニーと話をしていると、いささかも日本語の不自然さを感じない。単に流暢というだけではなく、湿気を帯びた日本の風土に根づく特有の理屈や態度などを十分に咀嚼し、理解している。

「野球を通じて日本独特の上下関係や礼儀を学びました」

日本の高校、大学野球部に所属。

 アントニーは幼い頃から日本のプロ野球選手たちと接する機会が多かったことで、「自分も日本でプロを目指したい」との思いが芽生えていった。

 高校1年の終わりに一念発起し、翌'94年に帰国子女の編入枠を設ける暁星国際高校(千葉県)に合格。ピントはずれの日本語が時にあだとなり、上級生の逆鱗に触れてしまうこともあったが、親を説得して来た異国の地で挫折するわけにはいかない。

 その負けん気はやがて、父と同じ浜松出身で親交のあった太田誠監督が率いる、駒澤大学野球部の門を叩く決心につながった。

「大学では外野のポジション争いと利き手の左手の指の怪我で試合にはあまり出られませんでしたが、日本の社会でやっていける自信がつきました」

 夢に描いたプロ野球選手の道は諦めたが、机上だけに依らない勉強を続けた日本語は敬語も難なく操れるほどに磨きがかかり、日本流の礼節を心得るまでになった。

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