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原巨人の知られざる的確な補強。
メジャーで学んだ敏腕の履歴書。
posted2019/02/12 07:00
text by
木崎英夫Hideo Kizaki
photograph by
Kyodo News
1月の終わり、都内某所。
空っ風から逃げるように待ち合わせのビルに駆け込むと、原辰徳氏と菅野隆志氏が待っていた。
原氏は言わずと知れた巨人の監督、そして菅野氏は巨人のエース菅野智之の父である。東海大相模高野球部で筆者より1年先輩である原氏と、3年後輩の菅野氏との野球談議は、オフの帰国で最も楽しみにしていることだ。
そんな「プチOB会」に、今年は1人の顔馴染みが招かれていた。黒のスーツに身を包み「読売巨人軍 国際部・統括部」と記された名刺を差し出したのは、アントニー鈴木(40)だった。
通訳として2005年にパドレスで、2006年から昨年までマリナーズで、米国で計14年の研鑽を積んだアントニーに原氏が電話を入れたのは、昨秋に3度目の監督就任を公にした直後だった。原氏は将来を見据えたチーム作りの一翼を担える人物として、アントニーを球団に推薦している。
原が高校球児だった頃からの縁。
原氏とアントニーの縁は、原氏が高校球児だった頃まで遡る。原氏は高校3年の夏の甲子園大会終了後、全日本選抜チームの主軸選手として米国遠征に参加。親善試合でハワイを訪れた際、ワイキキのホテルでギフトショップを営んでいたアントニーの父・淳氏と出会う。以来、巨人軍の優勝旅行やプライベート旅行の度に鈴木家と親交を深めてきた。
巨人入団1年目の1981年オフ、原氏は日本一の優勝旅行でハワイを訪れた際にある物をアントニーにプレゼントしている。その時、彼は3歳だった。
「当時、日本で流行っていたファミコンをプレゼントして頂きました。(原氏が)僕を抱いたツーショットの写真と一緒に、今も大切に保管しています」とアントニー。
時は経ち、2人は2009年の第2回WBCで侍ジャパンの監督とスタッフの1人として、ともに世界一を目指すことになる。