“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
1年に守護神を奪われた3年がJ内定。
流通経済大柏GKのドラマ性が凄い。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/01/09 11:00
練習中に笑顔を見せる猪瀬康介(左)と松原颯汰。流通経済大柏での切磋琢磨がお互いを高める。
スタメン復帰と手術の連続。
心の中では“俺の方が良いプレーができる”という思いを持っていた。しかし、周りの評価は松原に対する賛辞ばかり。
「自分が周りを認めさせられていないと感じたし、存在意義を見失いかけた」
しかし、ここから猪瀬は奮起した。サニックス杯後に茨城で行われたオーシャンカップ。本田裕一郎監督からは「この大会を見て、プレミアリーグのメンバーを決める」と言われ、彼は「命をかけてでも、ここでスタメンを獲らないといけないと思っていた」と危機感をもって臨んだ。そして全試合スタメン出場し、優勝に貢献。プレーも大きな手応えを得た。
「足のステップやシュートストップ、フィジカルの安定とキックもかなり練習しました。身体の回旋にもこだわって、キックも飛ぶようになったし、コントロールできるようになって来た。キックの種類も増やして、コーチにも『よくなった』と褒められて、プレーも上向きでした」
プレミアイースト開幕戦、続く第2節の市立船橋戦でもスタメン出場を果たした。しかし、この試合直後、再び左足に激痛が走った。すぐに検査に行くと、手術の跡から細菌が入り込み、化膿していることが判明した。
大事を取って第3節の青森山田戦、第4節の富山第一戦は松原にスタメンを譲ったが、第5節のFC東京U-18戦でスタメンに復帰した。そして、第9節の鹿島ユース戦。これまでの想いをぶつけるべく、気迫あふれるプレーで鹿島ユースの攻撃を封じ込み、1-0の勝利に貢献すると、その直後に再び左足に痛みが走った。
細菌がまだ残っており、再び手術箇所が化膿し始めたのだ。結果、彼は再び手術を強いられた。
高卒J入りにこだわる理由。
2週間の入院を強いられ、その間に再び松原がスタメン出場。リハビリから8月中旬に復帰したが、それ以降に猪瀬がスタメンに復帰することはなかった。
1年生の松原が正GKで、3年生の自分が第2GKという図式。高校生活があと半年程度で終わるという状況で序列がはっきりと決まってしまった――。
それでも「なんとかこの状況を打破したい」と猪瀬は必死にトレーニングに打ち込んだ。
彼がここまで正GKにこだわるのは、ただ試合に出たいだけではない。彼の中には、どうしても高卒でプロにならないといけない理由があった。
「家計的にも、さんざん親に迷惑をかけておいて、大学でサッカーを続けるわけにはいかないと思っていた。サッカーを続けるなら、きちんとお金をもらって、プロとしてサッカーに打ち込みたかった。それが無理だったら、就職するしかないと思っていた」