“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
新潟・早川史哉、病から本格復帰。
「不安なのは体力面より気持ち」
posted2018/12/30 08:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
12月中旬。急に冷え込んだ午前10時に、誰もいない筑波大第一サッカーグラウンドに2人のジャージ姿の男が姿を現した。
筑波大蹴球部出身の早川史哉と戸嶋祥郎。アルビレックス新潟に所属する2人は、オフ期間を利用して、母校グラウンドでの自主トレに励んでいた。
今年プロになった戸嶋にとっては1年ぶりの母校だが、早川にとっては実に約3年ぶりの母校のピッチだった。
早川は一歩一歩を確かめるようにしてピッチに足を踏み入れると、ランニングとストレッチをしながら、戸嶋に「あの壁、めっちゃ綺麗になったね」、「この芝っていつ張り替えたの?」と久しぶりの風景の変化に気づいては、いろいろと質問していた。
「あの売店、めちゃくちゃ綺麗になりましたよ」と戸嶋が校内の変化について教えると、早川も「マジで? めちゃくちゃ羨ましい。俺らの時にやってくれよ~」とこぼすなど、先輩後輩らしい会話が弾んでいた。
そしてピッチ中央で2人でひたすらボールを蹴ったあと、1時間半程度で2人の自主トレは終了した。
「弱い自分を支える後ろ盾」
「筑波大時代、プロを目指してやっていた想いを少しは思い出せたかな。この場所でやっていた思い出を噛み締められたし、一歩を踏み出すために、これまでの思い出を掘り起こすことができる場所がここだったのかなと感じています。
そんなに激しい練習はしていませんが、スパイクを履いて立つだけで、記憶が蘇ってくるし、筑波大蹴球部出身としての誇り、自信が僕を後押ししてくれる想いもある。他のOBは懐かしさもあってに来ているかもしれないけど、僕にとっては弱い自分をもう一度支えてくれるような、後ろ盾を探しに来ているのかなと思います」
早川がこう語るのには理由がある。2016年に筑波大から新潟に加入した早川は開幕スタメンを勝ち取ったが、その年の4月に急性白血病と診断された。そこから2018年春まで闘病生活し、夏からプロ選手への復帰を目指して、本格的に始動。そして11月に新潟との「プロ契約凍結が解除」された。