JリーグPRESSBACK NUMBER
浦和で育ち、湘南で大人になった
岡本拓也の初戴冠と期限付きの終焉。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/11/05 08:00
浦和時代にもプレーした埼玉スタジアムで、キャリア初タイトルを経験する。岡本拓也の胸には何が去来しただろう。
浦和が聞いてくれたわがまま。
持ち味の守備に対する考え方も変わった。かつては1人でボールを奪うことにこだわっていたが、湘南では組織で守る術を学んだ。
「以前は自分の良さを出すことばかりを考えていたけれど、ここに来てチームを勝たせることに矢印が向くようになった」
J2を戦いながら心の底から湘南をJ1に昇格させたいと思い、ハードワークした。目標のJ2優勝を果たすと、自然と涙もあふれ出た。レンタルという意識は消えていた。
'17年シーズン後、再び浦和から復帰要請を受けたものの、潮風が吹く刺激あふれる練習場を離れることはできなかった。複雑な表情を浮かべて、ぽつりとつぶやく。
「(浦和には)わがままを聞いてもらった」
レンタル3年目の今季、チームは残留争いを強いられているが、湘南の背番号36はJ1でも進化を続けている。「いろいろなことにトライしようと思っている。常にチャレンジしたい」と目を輝かせる。成功体験を少しずつ重ねることで、自信を得てきた。
「ここで自分の課題と向き合って取り組んできたことが、いまにつながっている。若いときは、トントン拍子で行くと思っていたのに……。少し調子に乗っていたのかな。意識が低くて、自立もしていなかった」
高2でJ1デビューを果たしたが。
浦和ユース時代には高校1年時に2歳上の山田直輝(現浦和)、1歳上の原口元気(現ハノーファー=ドイツ)らとともに、高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権を制覇。年代別日本代表の常連で、「プラチナ世代」と呼ばれた柴崎岳(現ヘタフェ=スペイン)、宇佐美貴史(現デュッセルドルフ=ドイツ)らとともに'09年U-17ワールドカップを戦い、センターバックとして全3試合に先発出場した。
翌'10年、浦和ユース時代の高校2年時にはフォルカー・フィンケ監督に抜てきされ、第2節のFC東京戦でJ1デビューを果たし、同シーズンはリーグ戦で9試合に出場。しかし、その後は期待されながらも、度重なるケガの影響もあり、目立った活躍はできなかった。当時J2のV・ファーレン長崎へレンタルに出て修行を積むものの、浦和に復帰後は出場機会に恵まれない苦しい日々が続いた。
「僕は遠回りして、時間もかかった」