Number ExBACK NUMBER
大阪桐蔭・西谷監督も憧れた「PL学園
伝説のスカウト」がKKドラフトを語る。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/10/15 08:00
「藤井寺ボーイズ」の西浦均監督(左)と練習を見る井元俊秀氏(右)。82歳となった今も足繁くグラウンドに通い、高校野球に携わり続けている
覇権はPL学園から大阪桐蔭へ……。
ある時、若き日の西谷氏が井元氏にこう言ってきたのだという。
「先生、僕は先生を目標にしています。先生みたいなスカウトになりたいんです。どうしたらなれますか?」
当時を思い出して、井元氏は苦笑いする。
ADVERTISEMENT
「そう言って、何度も何度も来たんです。西谷くんは僕にとってはライバルでしたから戸惑ったんですが、なんか可愛いところがあるわけですよ(笑)。だから、僕は一言だけ『親切にして、何回も通うことだよ』と言ったんです」
やがて時と共に、高校野球の覇権はPL学園から大阪桐蔭へとうつっていく。その中でクローズアップされるのは、西谷監督の指導力とともに、有望選手がなぜ大阪桐蔭に集まるのかという部分だ。
つまり高校野球の歴史の裏に、2人の世代交代のようなものが見えてくる。そういう意味で井元氏は、高校野球史をつくってきた人物と言ってもいいだろう。
そんな井元氏は、長らく1985年、桑田と清原に因縁を残したドラフトの「黒幕」だと言われてきた。
誹謗中傷もあったというが、黙してきた。
「いろいろな人が関わっているので、それが一番迷惑かからないだろうと思ってのことです」
そんな井元氏が80歳を超えた今、あの日のことを語った――。
球界の大物ともパイプを持っていた。
Numberのドラフト特集に掲載した原稿の中でひとつ、井元氏や関係者から指摘を受けた部分がある。
当時、PL学園3年生だった桑田がドラフト前に井元氏に父の借金を相談したという一文があるが、実際には、それはドラフトで巨人に指名された後のことで、早稲田に断りを入れ、巨人行きを決断する直前のタイミングだったという。
この場を借りて、訂正させていただきたい。
書き忘れていたが、井元氏はPL野球部の監督を務めた後、新聞記者をやっていた時期がある。鶴岡一人、根本陸夫ら多くの球界の大物とパイプを持ち、メディアにも明るい。その「目の黒さ」はいまだ健在である。