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340円のコンビニ弁当を分け合って。
流経大ラグビー韓国人コーチの大志。
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byMasataka Tara
posted2018/10/15 10:30
左が池英基さん、右が内山達二監督。国を越えた師弟関係が彼らにある。
その人柄に選手の態度も変化。
池さんの人柄、努力に触れ、選手の態度が変わった。当時の4年生には日本代表の中島イシレリ(神戸製鋼)、セブンズ日本代表の小澤大(トヨタ自動車)らがいた。当時を思い出すたびに池さんの涙腺は緩む。
「私の頑張りを学生が見て、私の下手な言葉をよく聞いてくれた。『ヨンギさん頑張ったね』と言われたこともある。それからシーズンに入って、『ヨンギさんのために絶対に勝つ』という言葉を聞いたときは、一番嬉しかったですね。今も涙が出るくらいです」
そのシーズンで流経大は震災を乗り越え、創部史上初の偉業を成し遂げる。
創部47年目にして、関東大学リーグ戦を初制覇。内山監督が秩父宮ラグビー場の空に舞った。
しかしチームの栄光の陰で、池さんは苦しんでいた。
来日当初から経済的に困窮していた。チームには言わず、3年にわたり深夜の清掃アルバイトをした。当時の睡眠時間は3時間。眠れないまま練習へ行った回数は数え切れない。
内山監督は「私の神様」。
だから恩人である内山監督の前で、ときどき寝落ちした。毎回無礼を咎められたが、睡眠不足の理由は言わなかった。意地だった。
「個人の生活のことですよね。自分で『コーチになりたい』と言って来ているのに、大変、辛い、お金ないって言いたくなかったんですね。『じゃあ辞めれば』ってなっちゃうんで」
池さんは内山監督のことを「私の神様」と言って憚らない。アパートの賃貸契約の保証人は内山監督だ。車を譲ってくれたこともある。そんな恩人にこれ以上の迷惑は掛けられない。
しかし結局は、内山監督の情が上回った。
知人を介してアルバイトの事実を知った内山監督は、池さんに告げる。もうアルバイトは辞めて、コーチに専念しろ。金は、俺がなんとかする。
2015年、池さんに男子15人制の韓国代表コーチのオファーがきた。戦術や練習を指揮する、実質的なヘッドコーチの依頼だった。そのときも内山監督は「チャンスだから行ってこい」と送り出してくれた。