Jをめぐる冒険BACK NUMBER
夫はJの監督、私はリポーター。
高木聖佳は今日もピッチから情報を。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2018/08/18 09:00
Jリーグ中継の「声」でおなじみの高木聖佳。選手たちの一挙手一投足を伝えようとピッチ脇で奮闘中だ。
日韓W杯での“落選”を経て。
倉敷の言葉から得たヒントが、彼女の中で膨らんでいく。
「FKのときに風が吹いて、ボールが思いのほか伸びることがあるでしょう。そんなときは『今、風が強く吹きましたね』って伝えたり。あと、監督が何をしているのか。コーチと話し込んでいたり、ジェスチャーで選手に指示を出していたり。それもピッチにいるからこそ分かること。そういう動きを見逃すのは、リポーター失格だなって」
だから、高木は試合中、ピッチの上だけでなく、スタジアム内のあらゆるものを見逃さないように常に目を動かしている。そう、タクシー運転手のように――。
コンフェデレーションズカップを足がかりに、高木は大きく羽ばたいていく……はずだったが、そうはならなかった。
「『スカパー!』が日韓ワールドカップを大々的に中継するのは知っていたから、プロデューサーの方にそれとなく聞いたんです。そうしたら『関西在住だと厳しいかもね』って。それでも、コンフェデをやらせてもらえたんだから、関われるんじゃないかって期待していたんですけど……」
翌年、ワールドカップの仕事が回ってくることは、なかった。
その鬱憤を晴らすように、高木は日本戦だけでなく、可能な限りたくさんの試合をスタジアムで観戦した。
「めちゃくちゃ応募したし、知り合いの関係者にチケットを譲ってもらったりもして、いっぱい行きました。でも、番組は観られなかったです。やっぱり、悔しかったから」
上京後、中継を支えるレポーターに。
関西在住というハンデによってチャンスを逃した高木が、活動の拠点を変える決断をするのは、当然のことだろう。'03年、高木は満を持して上京する。
もっとも、そこにはプライベートな理由もあった。
「包み隠さずに言うと、当時付き合っていた人が関東にいたんです(笑)」
関東進出は、仕事の幅を広げた。
トークショーの司会を任されるようになり、'04年にはJリーグ公認ファンサイトでヴェルディの担当に指名され、原稿を書くようにもなった。
さらに'07年、「スカパー!」がJリーグ全試合を中継することになり、全クラブに担当リポーターが配置された。ヴェルディとフロンターレの担当になった高木は、よみうりランドに加え、麻生グラウンドにも頻繁に足を運ぶようになるのだ。
こうして彼女は、Jリーグ中継を支える貴重なリポーターとなっていく。