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安藤梢、36歳の飽くなき挑戦「今もサッカーがうまくなりたい」
posted2018/08/15 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
16歳で日本代表に選出され、2011年の女子ワールドカップ優勝に貢献。昨年は、約7年半在籍したドイツ女子ブンデスリーガから、日本女子サッカーリーグへと復帰。36歳となった現在、浦和レッズレディースで若い選手たちとプレーをしている。今もなお第一線でプレーする彼女の原動力はどこにあるのか。
幼稚園の頃からサッカーが好きだったのですが、自分が通っていた幼稚園には男子のサッカークラブしかなくて。両親が園長先生にお願いして、女子で初めて入れてもらいました。幼稚園は嫌いだったのですが、サッカーがやれるなら行くというような子供でしたね(笑)。結局、小学校でも中学校でも女子サッカー部はなくて、そのたびに両親が校長先生にお願いしに行ってくれました。それでも私はすんなりと受け入れてもらえたので幸せな環境でした。友達のなかには、女子だからという理由で入れなくて、諦めた子もいます。やりたくてもチームがない、そんな時代でしたね。
16歳のときに初めて日本代表に選ばれて、1999年のワールドカップアメリカ大会に出させてもらいました。スター選手がたくさんいて、お客さんも何万人も入っていて。それまで女子サッカーの世界で、そんな光景を見たことがなかったので、こういうところでプレーをしたいってすごく思ったんです。
27歳でドイツに渡って得た居場所。
その後、憧れていた澤(穂希)さんが、アメリカに行って。自分もいつかはアメリカに行きたいと準備をしていたところ、たまたまドイツで1週間ぐらい練習に参加しないかという話をいただいたんです。ドイツ代表が7人ぐらいいたヨーロッパで一番強いチームで、ここでやりたいと思って、2010年、27歳のときにドイツに渡りました。
女子の場合はサポートしてくれる人もいないので、本当にひとりで武者修行に行くという感じだったのですが、強いチームに行けるという楽しみしかなくて。行ってから、これは大変だということに気づきました(笑)。言葉もまったく分からないから、買い物とか普段の生活はもちろん、明日何時に練習があるとか、予定を聞くだけでも大変。例えば、片付けているときにボールが飛んできて、誰かが『危ない!』って叫んだのですが、意味が分からないから頭にボンッてぶつかっちゃって。「あ、これが危ないって言葉なんだな」って(笑)。本当に言葉を身体で覚えていったんです。
メンタル面でもタフになりました。ワールドカップで優勝する前だったので、向こうの選手にしたら、ドイツ人のほうが上で、日本人なんて、って感じ。そのなかで人としても選手としても信頼されなきゃいけない。誰も自分のことを知らないなかで、自分の居場所を勝ち取っていくような状況でした。