Jをめぐる冒険BACK NUMBER
夫はJの監督、私はリポーター。
高木聖佳は今日もピッチから情報を。
posted2018/08/18 09:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Atsushi Iio
ある番組でね――、と彼女は切り出した。
「タクシーの運転手を取り上げていて。彼らって、運転中に目をものすごく動かしてるんですって。いろんな情報を得るために。それを見ていて、私たちと一緒だなって」
しかし、だからといって彼女は、ピッチの上でフリーの味方やパスコースを常に探している、なでしこジャパンの選手ではない。
彼女――高木聖佳(きよか)は、サッカー中継の第一線で活躍するピッチリポーターである。「スカパー!」や「DAZN」でJリーグを楽しんできたファン・サポーターにとっては、川崎フロンターレや東京ヴェルディのホームゲーム担当として、おなじみだろう。
サッカーに興味のなかった高木がふとしたきっかけでこの世界に足を踏み入れるのは、大学を卒業してしばらく経った1997年だった。
「その頃、特にやりたいことも夢もなくて、イベントコンパニオンをしてたんです。大学時代のアルバイトの続きで。その関係でガンバ(大阪)のマスコットガールの話をいただいて、やってみようかなって。それでイベントのお手伝いとか、ハーフタイムにテレビ中継で告知をしたりして」
細いツテを頼って取材許可が。
'97年といえば、高校2年生の稲本潤一がJリーグデビューを飾り、“浪速の黒豹”ことパトリック・エムボマがスーパーゴールを決めたシーズンである。
もっとも、マスコットガールを始めたばかりの高木にとって、選手以上にまばゆく光って見えたのは、ヒーローインタビューで彼らにマイクを向ける、リポーターだった。
「人生最高のときに話を聞けるのって、素敵じゃないですか。それにガンバは、選手と一緒にインタビュアーもお立ち台に上がっていたんです。それもいいなって」
やりたいことを見つけた高木の行動は、早かった。
ヒーローインタビューを担当していたリポーターと同じ事務所に入り、アナウンスの勉強をしながら、チャンスを待った。
とはいえ、事務所にはすでにJリーグ中継でリポーターを務める先輩がいるわけだから、後輩に同じ仕事は回ってこない。
そこで、蜘蛛の糸ほど細いツテを頼ってJリーグのメディアプロモーションの担当者に会ってもらうと、必死の売り込みの甲斐もあり、なんとか練習取材が許可された。
「最初に行ったのは、(京都)サンガだったかな。でも、ヴィッセル(神戸)が一番多かった。当時は記者が全然いなかったから、監督の川勝(良一)さんをはじめ、みんなが優しく迎え入れてくれたんです」