マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
育成で獲ってドラフト上位に戻す。
SBで“早稲田の大竹耕太郎”再び!
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2018/08/07 10:30
強打の西武打線を手玉に取り、プロ初勝利を挙げた大竹耕太郎(左)。同じ左腕だった工藤公康監督のねぎらいに満面の笑み。
生きたボールが立て続けにミットへ。
2年生の秋、大竹耕太郎が快投を続けていた頃。スピードが“140”を超えることもめったになく、魔球のような変化球もなさそうなのに、どうして……?
試合前のブルペンで投げる大竹耕太郎を、すぐそばで見たことがある。捕手の後ろあたりで見ていたら、すごく速く見える。ベースの上で速く、ミットの当たりもすばらしく強い。
ネット裏からは何でもなく見えていたスライダー、カーブ。チェンジアップだったのかフォークだったのか、スッと抜いて沈むボール。すべての“変化点”がすごくホームベースに近い。いわゆるキレの鋭い、生きたボールが立て続けに構えたミットに決まる。
低めに集める意識と、それを実践できる投球技術。
これなら勝てるわ……。
応援部の人に「エールの交換が始まるから」と応援席を追いたてられながら、なるほどね……と深く納得したものだった。
そのまんまのピッチングだった。
アマ時代の大竹に戻っていた?
初回、西武4番の山川穂高一塁手に、見えなくなるほど飛ばされて、うわっ! と思ったが、そこからが「早稲田大学・大竹耕太郎」そのものだった。
インステップしてくるから、サウスポーの生命線であるクロスファイアーが、右打者のふところ斜めの角度で食い込み、左打者にはボールを遠くに見せた。さらに、チェンジアップをストライクからボールゾーンに沈めて、打者の視線を崩してみせた。
投げ続けた8イニング24のアウトの中で、フライになったのは4つだけ。あとの20のアウトは、すべて内野ゴロと三振だったのが、何より、早稲田でエースとして勝ち星を重ねていた頃の大竹耕太郎に戻っていた証拠であろう。
戻っていた?
自分でそう考えておいて、違和感を覚えていた。
プロ野球のルーキーが一軍デビューし、勝利に貢献できるのは、その選手がアマチュア時代より成長し、進境著しいからこそ……ではないのか。
アマチュアの頃に戻ってしまっていては、進化よりむしろ退化かもしれないのに、大竹耕太郎の場合は、「アマチュア戻り」が進境につながった。