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育成で獲ってドラフト上位に戻す。
SBで“早稲田の大竹耕太郎”再び!

posted2018/08/07 10:30

 
育成で獲ってドラフト上位に戻す。SBで“早稲田の大竹耕太郎”再び!<Number Web> photograph by Kyodo News

強打の西武打線を手玉に取り、プロ初勝利を挙げた大竹耕太郎(左)。同じ左腕だった工藤公康監督のねぎらいに満面の笑み。

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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Kyodo News

 投手陣に苦慮するソフトバンクの“救世主”になれるのか!

 月が変わって、ツキも変えられるのか?

 8月1日、首位・西武との一戦に先発したソフトバンクのルーキー・大竹耕太郎(184cm78kg・左投左打・早稲田大)が8イニングを5安打2失点に抑え、プロ初登板初先発で見事初勝利をあげた。 

 大竹耕太郎は昨秋のドラフト会議で、「育成選手」として指名され、プロに進んだ選手だ。

 学生野球生活の後半2年間、彼はとにかく苦しんだ。ヒザを痛め、肩を痛め、野球に真っ当に向き合う青年だったから、適当なところで切り替えたり、やり過ごしたりできずに、いちいちつまずいたり、カベに当たったり。そんな「悲話」を何度か耳にしたこともあった。

入学から2年間エース、その後低迷。

 入学直後からの2年間4シーズンは、大竹耕太郎といえば、絶対的な早稲田のエースだった。

 とりわけ、2年生の春と秋はリーグ戦を連覇して、6月の全日本大学野球選手権でも優勝の原動力となり、このままいったら2年後は「ドラフト1位だろう!」の声もあがっていたほどの勢いだった。

 そこから2年間の長い“低迷”だったから、育成枠でソフトバンクに進むことが決まったときも「早稲田のエースを張った男が、なにも育成でいくことはないだろう」という声が年配のOBからいくつもあがっていたという。

 それほどの、プロへの強烈な意欲。

 あいつなら、野球をやめて就活しても、銀行でも商社でも、行った数だけ内定がとれる。

 野球部関係者のそんな感心する証言も、大竹耕太郎という青年の優秀な頭脳と人格を表していた。

【次ページ】 生きたボールが立て続けにミットへ。

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