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長谷部誠の心が整っていない頃秘話。
「もう代表はいいです」と進路相談。 

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木本新也

木本新也Shinya Kimoto

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posted2018/07/26 08:00

長谷部誠の心が整っていない頃秘話。「もう代表はいいです」と進路相談。<Number Web> photograph by Getty Images

田嶋幸三会長、西野朗監督とともに帰国後会見に臨んだ長谷部誠。田嶋会長とは世代別代表監督と候補選手の間柄だったことも。

Jクラブに加え、大学からも勧誘。

 高校3年の夏、長谷部は進路に悩んでいた。浦和、名古屋のJクラブに加え、明大など複数の大学からも勧誘を受けていた。

 何を隠そう、筆者は明大サッカー部出身。「明大ってどうですか?」と聞かれ「国見や鹿児島実、市立船橋、東京Vや横浜FMユースなど全国の強豪チームから選手が集まってくる。遊んでつぶれてしまう選手もいるけど、プロになる選手も多い。自分次第だね」と母校をアピールした。

 その上で「サッカー部専用の寮は8人部屋が3つと16人部屋が1つ。1年生は練習の2時間前に集合してグラウンド整備をしなければいけない。整備が雑だったりボールの空気が緩かったりすれば、上級生から死ぬほど走らされる」と付け加えた。

 その後は何も相談されることなく、浦和入りが内定。長谷部のようなタイプは大学に進学していてもプロになっていたと確信しているが、あのアドバイスがプロ入りを4年前倒しする一助になったのではないか、と密かに自負している。

 ちなみに、グラウンド整備も、上級生からのシゴキも約20年前の話。現在のピッチは人工芝で素晴らしいトレーニング環境が整っていることを強調しておきたい。

「大変なこと以上に誇りが大きい」

 その長谷部が今夏のW杯ロシア大会を最後に、日本代表からの引退を表明した。

 W杯南アフリカ大会直前、2010年5月30日の親善試合イングランド戦で初めて主将マークを巻いて以来、多くの苦悩があったに違いない。岡田武史、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチ、西野朗。5人の監督から信頼されて主将を託された。

 3大会連続W杯で主将('10年南アフリカ大会はゲームキャプテン)を務め、W杯出場11試合は長友佑都、川島永嗣と並ぶ日本人最多記録だ。

「最初は右も左も分からず、ガムシャラにやっていたけど、自分が勝手にですけど、背中に荷物をどんどん背負っていった感覚があった。大変なことも多かったけど、それ以上に誇りの方が大きかった」と振り返っている。

【次ページ】 「1%の後悔を残りのサッカー人生に」

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