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米マイナーからDeNA電撃入団。
中後悠平の知られざる「父の顔」。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2018/07/07 11:00
中後悠平(左)は近大から2012年にドラフト2位でロッテに入団するも、4年で戦力外となった。貴重な左のリリーフとしてDeNAに貢献できるか。
オフは自ら窓口となってあらゆる取材を受けた。
だからこそ今回、横浜DeNAが彼の入団テストを行うと知ったとき、筆者も自分のことのように嬉しかった。
中後の新たな所属先が決まった。ただ、それだけじゃない。
千葉ロッテ退団以来、中後はDeNAが本拠にする神奈川県内で家族と共に暮らしてきた。いわば第二、第三の故郷とも言えるその場所が、新たな彼の拠点となる。
「これも何かの運命だ」と、思った。
この2年半、彼は人としての魅力を増していった。
シーズンオフは、少ないマイナーリーグの給料では家族を養っていけないと、テレビ、ラジオ、雑誌などの取材を積極的に受けた。スケジュール調整、謝礼金の交渉、それらの窓口も全て自分。
ときには意に添わぬ展開もあったと思うが、そこで腹を立てることもなく、相手が望むことを、なるべく提供しようと努力する。
それは単身海を渡り、言葉も通じない中、過酷な生活にも耐えてきた彼の日々の経験が、自然とそうさせたことだろう。角がとれていくとは、まさしくこのことだと彼と接するたびに思った。
新人選手のような初々しさでDeNAへ。
そうした意味では、この2年半の単身渡米生活は、彼にとってもかけがえのないものとなったに違いない。
2018年7月5日、ピンストライプのユニフォームに袖を通した中後は、トレードマークだった髭を剃り、揉み上げをカットし、入団会見に臨んだ。
その姿はまるで、これからプロの世界に足を踏み入れる新人選手のような初々しさを漂わせていた。