サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
伊藤達哉、初の独占インタビュー。
Jを経ず欧州移籍した20歳ドリブラー。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph bySports Graphic Number
posted2018/05/12 11:30
自己主張も考え方も、海外で成功するのが納得の伊藤達哉。代表への期待論も聞こえているが、まずはクラブに集中している。
監督に「絶対俺のこと使った方が良い」。
――よく乗り越えましたね。
「自分でもそう思います。その時は本当に、ある意味人生賭けてこっちまで来て、いきなり怪我でサッカーができなくなって何してるんだって。怪我でサッカーができなくなっていく人ってこういう感じなのかな、って思ったりもしました。本当に毎日泣きながらジムに行って、1人でトレーニングしたり走ったりしていました」
――その時、何が支えになったのでしょう。
「その時支えになったのは、この怪我に負けて終わりたくないなっていう気持ちがずっとあったと思います。そこだけですね。その頃は寮に住んでいたんですけど、目の前が練習場で、イヤでも『今日点取ったぜ』なんて話が聞こえてくるんです。
だから、ドイツ語を集中的にやりました。サッカーが全くできなかったので、チームに無理を言って毎日4時間とか5時間くらい。『それしかやることないからお願い』って言って。
結局それが2年目、3年目の今に結構生きてますね。ピッチ外でストレスがないのは大きいです。ドイツにいる選手の中で比べても、だいぶ喋れるほうだと思いますよ」
――そして、2年目はツヴァイテに上がってプレーしました。
「ツヴァイテに入っても、当時の監督はサッカーの感じが合わない人で。1年間怪我していたちっちゃいアジア人、という感じで見られてて、明らかにチャンスももらえなかったです。
でも最後の10試合くらい、ばーっと出たんです。監督がどこかで気にいったのかはわからないですけど、そこからは急に王様みたいな扱いをし始めて。でも1年目の怪我と、その試合に出ていない期間の2回は、とても気持ち的にきつかったですね」
――監督と話したりは?
「その時はしましたね。自分でドイツ語で喋りにいって、『絶対俺のこと使った方が良い』って何回も言って。監督も最初はなんだこいつ、ドイツ語もちゃんと喋れない奴が急に来てなんか言ってる、と思ってたと思うんですけど。練習でも示していたので、どこかのタイミングで急にチャンスくれて」