サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
伊藤達哉、初の独占インタビュー。
Jを経ず欧州移籍した20歳ドリブラー。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph bySports Graphic Number
posted2018/05/12 11:30
自己主張も考え方も、海外で成功するのが納得の伊藤達哉。代表への期待論も聞こえているが、まずはクラブに集中している。
Jリーグではなく海外サッカーを見ていた。
伊藤は'15年の夏、柏レイソルユースからJリーグを経ずにハンブルクに渡った。ユースチームでキャリアをスタートさせ、3シーズン目で順調にトップでの活躍を果たしたのは日本人としては異例だ。
もちろん、Jを経ずに海外にトライする選手も少なくはないが、そうした中で欧州5大リーグのトップチームで評価を得た、初めての日本人かもしれない。
――高校3年でハンブルクに来た頃のことを話してもらえますか?
「高3の夏にオファーもらって、海外に行くことに躊躇は一切なかったです。
僕はレイソルに小学校4年から入っていて、チームメイトはみんな友達だし、そのときある意味主力の1人だったので、チームメイトみんなに迷惑がかかるという意味での躊躇はありました。でもそれ以外の、例えば親元を離れることとか、国外でサッカーという意味での躊躇は一切なかったですね。夏のクラブユース選手権前で、それだけが悩むところでした」
――もともと、海外志向があったということですか。
「僕はもう、ずっとちっちゃい時からJリーグも見てなくて、海外のサッカーをひたすら毎週見ていたし、海外のサッカー選手たちがアイドルだったので。で、日本代表選手のインタビューとか見てると、みんな口を揃えて早いうちに海外に行った方が良いって言ってて。
自分なりに考えても、そっちのほうが良いのかなと思いました。だから、できるだけ早く行きたかった。それに当時の僕には、Jリーグに行ったところで短期間でパッと活躍して早いうちに海外に行く力は多分なかったと思う。今思い返してもベストな決断だったなと思ってるし、オファーしてくれたチームにも感謝です」
――実際に入ってみて、どうでした?
「最初はU-19に入ったんですが、2カ月も経たないうちに膝を怪我しちゃって。そこから8カ月くらい、やってなかったんです。日本にいた16歳くらいから痛かった膝が、ある試合のあとに立てないくらい痛くなっちゃって。
でも検査しても理由が見つからず、ホームシックなんじゃないかと言われたりして。何がなんだかわからず、言葉もわからない状況で、原因のわからない痛みで。そのときがドイツに来てから一番辛かった期間ですかね」
――結局どう治療したのですか。
「'16年の1月に内視鏡を入れて検査をして、専門的な筋トレなどをして対応していこうということになりました。そのシーズンの最終節(第26節ブラウンシュバイク戦)に2、3分出してもらって、シーズンが終わりました」