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ボールボーイ事件、頷く大杉漣さん。
馬渡和彰、徳島での後悔を胸にJ1へ。
posted2018/03/02 08:00
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
サンフレッチェ広島が今季初めて全体練習を行った1月22日。雪交じりの冷たい雨の中で練習を終えた馬渡和彰は、旧知のメディア関係者を見つけると、冗談めかして言った。
「成り上がりましたよ」
これまでのキャリアを振り返れば、確かに成り上がった。別の言い方をすれば、着実にステップアップして、日本のトップカテゴリーまでたどり着いた。
市立船橋高(千葉)では鹿島アントラーズMF中村充孝の1学年下。2年次にはインターハイ優勝も経験したがプロからの誘いはなく、当時関東リーグ2部の東洋大へ進んだ。1部に昇格した4年次の2013年にJ1、J2の複数のクラブの練習に参加したものの、攻撃力が評価される一方で守備面の脆さが指摘されており、正式オファーはなかった。
J3鳥取で鍛えられ、J2徳島で運命が。
唯一、獲得に乗り出したのは、翌2014年からのJ3降格が決まっていたガイナーレ鳥取だった。「守備面のマイナスはあったけれど、前への推進力は大きな魅力。J1やJ2のクラブが獲得しなかったのは、鳥取にとっては幸運だった」と当時鳥取の強化責任者だった喜多靖氏は語る。
身長175cmながら「バスケットボールのリングをつかめる」と語る驚異的な跳躍力など、運動能力の高さを生かしたダイナミックなプレーで、2年間でJ3リーグ52試合に出場、7得点を挙げた。
ここでのプレーぶりが評価され、2016年にJ2のツエーゲン金沢に完全移籍。さらに2017年には同じJ2の徳島ヴォルティスに完全移籍した。この移籍が、馬渡の運命を大きく変えることになる。
同年に就任したスペイン人のリカルド・ロドリゲス監督は、馬渡の攻撃力を高く評価し、開幕から主に左アウトサイドで先発起用した。「息子のように可愛がってもらった」と振り返る馬渡も期待に応え、持ち味のアグレッシブなプレーで躍動。開幕から9試合連続で先発フル出場する好スタートを切った。
だがその矢先に、馬渡和彰の名前は最悪の形で、全国に広く知れ渡ることになる。