球道雑記BACK NUMBER
先輩・源田壮亮に学んだ奥義を!
ロッテのドラ2藤岡裕大の“送球論”。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2018/02/19 08:00
ルーキーながら背負う番号は「4」。キャンプでは早くもホームランを打つなど、藤岡裕大にかける期待は大きい。
社会人時代の先輩・源田から学ぶ送球。
トヨタ自動車時代は現在、埼玉西武で活躍し、昨年のパ・リーグ新人王に輝いた源田壮亮の背中を見て育った。学んだことは数多く、捕球からのステップも源田の動きを参考にしたものだと藤岡は話す。
「試合になると、ボールに入り過ぎて投げにくいケースもあります。ときには逆シングルで捕ったり、応用しなければいけないことも沢山あるんですけど、練習のときはなるべく(ボールに)苦しく入って、どれだけ楽に投げられるかを意識しています。それが実戦になったときに捕れるか、捕れないかにも繋がって来ると思いますし、そういうところを普段のノックから意識してやっています」
スカウト間で話題になった彼の強肩もこれなら生かされていく。そう感じた。
キャンプインからここまでの過程も順調そのものだ。チーム最初の紅白戦となった2月10日の試合では3安打1打点の活躍を見せ、その後の紅白戦2試合でもヒットを続けている。攻撃面のアピールも十分と見た。平沢大河、三木亮らと争うショートのレギュラー争いでも現在、一歩先に出た印象だ。
'15年ドラフトは指名確実のはずが……。
一見、順風満帆に見える藤岡だが、ここまでの道程はけっして平坦ではなかった。
亜細亜大学時代、1年春からサードのレギュラーを獲得した藤岡は、その後、同大学のリーグ6連覇に5季に渡って貢献するなど、早くからその才能を発揮した。大学3年秋には打率.380を残し、首位打者のタイトルを獲得。4年秋には史上23人目となる通算100安打を達成するなどドラフト指名は確実かと思われていた。
しかし、2015年10月22日、運命のドラフト会議。藤岡裕大の名前は最後まで呼ばれることはなかった。
「亜細亜大学の生田勉監督からも『お前はプロ1本で行け』と言われていたので、それなりの手応えもありましたし、監督がそこまで言うなら大丈夫だろうなとも思っていたので、どこかが指名してくれるだろうとは思いましたけどね。ドラフトに限っては何が起こるか分からないというのがそのとき感じました」
ドラフト会議の翌日、毎朝提出が義務付けられている野球ノートを藤岡だけ提出できなかった。
「あのときはショック過ぎて何をノートに書いていいのか分からなかったんです。日頃だと『今日は1日こんなことに取り組んで、こんなことを思った』とか『明日はこんなことに取り組みたい』ということを書いていたんですけど、その日のことに限っては、振り返るのも嫌で、何を書いたらいいのかも分からないし、そのまま白紙の状態で……」