“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大学まで無名→群馬→大宮→柏。
江坂任と瀬川祐輔、経歴が似過ぎ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/02/04 07:00
同一クラブから同時に2人獲得という珍しいケースだが、江坂(右)と瀬川は着実にステップアップを果たしている。
「正直、J3以下だったら就職していました」
その姿勢がオファーを引き寄せた。瀬川がゴールを挙げ3-0と快勝したインカレ2回戦・中京大戦後のことだ。
江坂と同じく、群馬からオファーが届いた。
だが、手放しで喜べるオファーではなかった。群馬はJ2でも予算規模が小さく、プロという立場は不安定だ。一方で大手飲料メーカーは新卒で入社でき、給料も安定度も高い。多くの人は「安定した道に行った方が良い」と考えていたが、本人は迷わず群馬入りを決め、内定企業に断りの電話を入れた。
「正直、J3以下だったら就職していました。でもJ2以上であれば、プロになれるのであれば給料なんてどうでも良かった」
この決断を下してから、江坂と瀬川の数奇な運命の歯車が回り始めた。
「群馬からオファーが来た段階で、(江坂)任くんが活躍していることは知っていたけど、僕と同じ境遇でのプロ入りだったのは知らなかった」
江坂とまったく同じ42試合出場13ゴール。
だが、群馬はすでに瀬川に江坂の姿を重ね合わせていた。それが証拠にクラブが瀬川に渡した背番号は江坂が背負っていた26番。これは「出世番号にしたい」というクラブの意向であった。
「同じ背番号を受け取って、任さんのようにここでしっかりと結果を残せば、上のステージに行けると思った」
明確な指標を得た瀬川は、江坂とまったく同じリーグ全42試合、13ゴールを叩き出した。
「群馬で僕の背番号を引き継いだ選手だったので、気になる選手でした」
この活躍に江坂も瀬川という男を認識した。そして2017年、瀬川もまた大宮からのオファーを勝ち取り、完全移籍した。
「26番をつけて活躍して、僕と同じゴール数を決めて、大宮にやって来た。偶然かもわかりませんが、そこは凄いと思った」
ついに重なり合った運命。同じ経験を積んで来た2人はすぐに意気投合した。
「同じ道を歩んで来た瀬川と話して行くうちに共通点が多くて、本当にいろんな話をするようになった。瀬川とは常に“たとえ試合に出られない状況になっても腐らずやろう”とずっと話していた」