“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大学まで無名→群馬→大宮→柏。
江坂任と瀬川祐輔、経歴が似過ぎ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/02/04 07:00
同一クラブから同時に2人獲得という珍しいケースだが、江坂(右)と瀬川は着実にステップアップを果たしている。
高校、大学途中までほとんど無名だった瀬川。
そんな江坂以上に、瀬川は無名だった。日大二高は都内でも上位進出が難しいチーム。明治大に進学後も、強豪の中で出番をつかむのは至難の業だった。
レギュラーをつかんだのは4年生の6月。アミノバイタルカップ(総理大臣杯関東予選)でスピードを生かした右サイドアタッカーとしてレギュラーをつかんだ。ただ瀬川はサッカーと並行し、就職活動を始めていた。
「4年のシーズン最初の練習試合でスタメン出場したけど、そこで調子が悪くて、2試合目からベンチになった。“これはヤバいな”と思ったし、リーグ戦開幕直前でベンチに入れるか入れないかという立場だった。プロにはなりたかったけど、就活に本腰を入れるようになった。就活もやるからには全力でやらないと、採用してくれないと思ったので、サッカーも就活も全力でやろうと。やっていくうちに気持ちは徐々に就職へ向かいました」
8月には大手飲料メーカー総合職の内定を勝ち取った。すると不思議なことに、サッカーでも上昇気流に乗ったのだ。
総理大臣杯準優勝に貢献すると、リーグ後期でも右サイドバックの室屋成(FC東京)とのコンビが冴え渡り、瀬川自身はゴールも決めるなど攻撃の要となっていた。
「内定を頂いたとはいえ、安心感はなかった」
その急成長ぶりにチームメートからも「瀬川をプロに行かせたい」との声が上がるほどだった。差波優人(カターレ富山)と和泉竜司(名古屋グランパス)が口を揃えてこう話していたことを思い出す。
「瀬川をもっと取り上げて欲しい。あいつほど努力をして這い上がって来た選手はいないんです。プロに行かせてあげたい」
彼の真摯な姿勢は周りの心を揺さぶっていたのだ。
「内定を頂いたとはいえ、安心感はなかった。この調子でサッカーも努力すれば、必ずどこかのクラブが見てくれているはずだという想いがあった。そして就活にサッカーを持ち込まなかったし、逆も同じでした。常に(プロになる)準備をしていた」