“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大学まで無名→群馬→大宮→柏。
江坂任と瀬川祐輔、経歴が似過ぎ。
posted2018/02/04 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
江坂任と瀬川祐輔。
この2人は“数奇な運命”で結ばれている。
江坂は1992年5月31日生まれ、兵庫県出身。瀬川は1994年2月7日生まれ、東京都出身。2人に直接的な縁はない。
学年も1つ違うし、出身も関西と関東。江坂は地元の強豪・神戸弘陵に進むが、インターハイ、選手権出場は一度もない。瀬川は日大二高出身で、同じく全国大会には一切縁がなかった。大学はそれぞれ流通経済大と明治大に進んだが、3年から活躍した江坂に対し、瀬川がレギュラーを掴んだのは4年夏から。プロ1年目を過ごした群馬でも、2人は入れ違いだった。
一切交わることのなかった縁。しかし2人の境遇は共通点が多く、昨年には“コンビ”と言われるほど、1本の線で深く交わった関係となった。
江坂は神戸弘陵時代、知る人ぞ知る存在だった。ゴール前でのキレのある動きとシュートセンスは当時から光っていた。しかしボールを受ける前の動きは、とても褒められるレベルではなかった。それゆえにスカウトに注目はされたが、Jクラブからのオファーは来なかった。
「絶対にプロになりたいと思っていた。なることしか考えていなかった」
それでも彼は、迷わず大学サッカー界屈指の強豪・流通経済大の門を叩いた。しかも、推薦や特待入学ではなく一般入試で。
プロに行くことしか考えず、就活は一切しなかった。
江坂は大学3年夏の総理大臣杯で4試合5得点をマークし、優勝と得点王をダブルで獲得した。しかし、その後はリーグ戦で彼の姿はピッチになかった。
4年になってからリーグ戦でコンスタントに出番をつかんだが、獲得に動くJクラブはほぼなかった。
「プロに行くことしか考えていなかったので、就職活動は一切しませんでした。ギリギリまでもがいて、チャンスをつかもうと思っていた」
焦る心を押し殺す一方、オファーは来ないまま、最後の大会となる全日本大学サッカー選手権(インカレ)を迎えた。
「インカレ前でオファーがなかった時点で、“インカレで活躍して、優勝と得点王を取るしかオファーをもらえる道はない”と思った。自分の人生を懸けてプレーしました」