“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
前橋育英サッカー部監督にして校長。
山田耕介の真っ直ぐな人生を考える。
text by

安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/01/16 11:00

前橋育英高校の校長室で撮った、山田校長の貴重なワンショット。背後には沢山の表彰状・トロフィーが並ぶ。
決勝で負けた相手の祝賀会に出席する敗戦の将!?
そんな山田監督について、筆者にとって一番印象に残っているエピソードがある。
それは2014年度の選手権決勝で山田監督率いる前橋育英と、河崎率いる星稜(この時、河崎は大会直前に事故に遭い、木原力斗コーチが監督を代行した)が顔を合わせ、延長戦の末に星稜が前橋育英を4-2で下して初優勝を成し遂げた後だった。
この試合、2-1で前橋育英がリードをしていたが、星稜が同点に追いつくと、延長戦で一気に2ゴールを挙げて試合をひっくり返した。初の決勝進出を果たし、初優勝を目指していた前橋育英にとっては、まさに断腸の思いの敗戦だったと言っていい。
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優勝を果たした星稜は、選手権決勝から1カ月が過ぎようとしていた2月に、石川県金沢市のホテルで優勝祝賀会を行ったのである。筆者も招待を受けて参加したのだが、祝賀会の前日に山田監督と別の用で電話をしていると、こう話題を振ってきた。
「そういやお前、明日星稜の優勝祝賀会に行くんだろ? 俺も行くから」
目が点になった。いくら河崎監督と仲が良いとはいえ、決勝で負かされた相手の祝賀会に参加するというのは、これまで聞いたことがなかったからだ。
「まさか負かした相手の監督を招待してくれるとは」
祝賀会当日、山田監督は本当にスーツ姿で群馬からやってきた。そして筆者と同じテーブルに座ると、「安藤、いま河崎にスピーチを頼まれちゃったんだよ(笑)」と言われ、またしても目が点になった。
この祝賀会は学校内のものではなく、金沢の大きなホテルの大広間で、星稜関係者だけでなく、石川県の政財界の重鎮たちも顔を揃える、非常に大規模なものだった。当然多くのメディアもずらりと並び、本当に豪華なイベントだった。
そんな雰囲気の中、山田監督は本当に1人壇上に立ち、祝辞を述べたのである。
「どうも、決勝で敗れた前橋育英の監督の山田耕介です! 河崎監督、星稜関係者、石川県の皆様、本当におめでとうございます!」
この一言で会場の雰囲気を鷲掴みにすると、「まさか負かした相手の監督を招待してくれるとは驚きましたが、河崎監督とは長い仲でして、彼の苦労も本当によく知っていますので……群馬から駆けつけました!」とスピーチを続けたのである。